人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

一流になれなかった元アスリートのブログ。憧れの存在であるトップアスリートの「思考・行動パターン」を真似したくて日々奮闘中。

【藤田修平】98年夏の甲子園、サヨナラボークで敗退した宇部商業の投手は今

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※ 写真は「スポルティーバ」より

エース・松坂大輔を擁する横浜高校春夏連覇を成し遂げた、98年夏の甲子園。準々決勝、PL学園との延長17回の死闘は高校野球史に残る名勝負となったが、個人的にこれと同じくらい印象に残っている延長戦が一つある。

2回戦の宇部商業(山口)vs 豊田大谷(愛知)。2-2で迎えた延長15回、無死満塁のピンチで宇部商の2年生エース・藤田修平さんがサヨナラボークをとられた試合である。

少年のようなあどけない表情&華奢な体躯のサウスポーが、「何が起こったのかわからない」というようなかんじで、マウンドで呆然と立ち尽くしている姿が今も忘れられない。

その藤田さんの近況が、本日5月23日付のスポーツニッポンに掲載されていた。宇部商業を卒業後は福岡大に進学したが、4年秋を前に中退し、軟式野球部があった彦島製錬に入社。現在は実家の内装業に従事しているとのこと。現在36歳で、家族は妻と子供3人。変わらぬ細身の近影からは、当時の面影を感じることができた。

記事によると、あのボークの後、全国各地から300通を超える励ましの手紙が届いたそうだ。「感動を与えるために野球をやっていたわけではない。一生懸命やった姿でそう思ってもらえたのがうれしかった」

感動の押し売り(=マーケットイン)を狙って試合に臨んだわけではなく、本人いわく「松坂世代が活躍する中でちんちくりんの僕」が、”いまの精一杯”のプレー(=プロダクトアウト)をしていたところ、観客が深く感動してくれた。世間の人の心を動かした。高校球児としては悲劇的な幕切れだったけど、一人の人間としては本望だったのではないだろうか。

藤田さんは現在、小5の長男が所属する軟式野球チームの手伝いをすることで野球に関わっている。あんな形で甲子園を去って、野球を嫌いになってもおかしくなかったのに、やっぱり野球が大好きなのだろう。

宇部商業の指導者のサポートもよかったのだと思う。あのボークは高2の出来事だったが、全国から届いた大量の励ましの手紙はその翌年、高3の夏にすべての大会を終えてから渡されたそうだ。先生方が「すぐに渡したら調子に乗るだろう」と判断したため、このような形になったらしい。

甲子園で負けたことを罵倒せず、かといって過保護にもせず、生徒の人間性を育むにはどうしたらいいか、長い目で考えてくれる教育者が近くにいて本当によかった。昨日、アメフトの宮川泰介選手(日大)から「好きだったアメフトが好きじゃなくなった」というあまりにも悲しいコメントを聞いたあとだけに、余計にそう思った。

 

藤田修平さんから学んだこと

自分の身の丈で一生懸命頑張る姿は、人に感動を与えるもの。