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【平山相太】「平成の怪物」が32歳で現役引退を表明

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(※ 写真は「サッカーダイジェストWeb」より)

「怪物」平山相太32歳で引退、度重なるけがで決意(1/27 日刊スポーツより)

 ベガルタ仙台は26日、元日本代表FW平山相太(32)の現役引退を発表した。FC東京から仙台に完全移籍した昨季、開幕直後の練習で左くるぶし付近の腱(けん)を脱臼。故障の影響で試合に出場できなかった。昨年12月に全体練習に復帰したが、同じ箇所を痛め、15日からの沖縄キャンプには帯同せず、仙台で治療を続けていた。度重なる負傷で今季開幕を待たずにピッチを去ることを決意した。
 怪物と呼ばれた大型FWが、現役生活にピリオドを打った。平山はクラブを通じて「度重なるけがのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。開幕前の大事な時期にクラブに迷惑をかけてしまうことを申し訳なく思っています。また、決断を尊重してくれたことに感謝しています」とコメントした。 


2004年1月12日、友人に誘われて、国立競技場で行われた「全国高校サッカー」の決勝戦を見に行った。対戦カードは「国見 vs 筑陽学園」。この試合で2得点1アシストと大暴れし、国見を日本一に導いたのが、若き日の平山相太選手である。

決勝まで勝ち上がるような2校はどちらも強くて、実力的に大差はないはずなのに、結果は「6-0」のワンサイドゲーム。「サッカーって、こんなに簡単に点数が入るものなのか?」と思うぐらい、あの日の国見高校は本当に強かった。スタジアム内の雰囲気も、「敵味方を超越した熱狂」があったように思う。

身長190センチ、体格も実力も高校生としては頭一つ抜けていて、これで将来を期待しない方がおかしいという状況。平山選手もそれに応えようと、精一杯努力したに違いない。それでも、トントン拍子にはいかないのが厳しいプロの世界なのだ。

アスリートのピークには個人差がある。高校時代に同世代の頂点に君臨した選手に対して、私たちはいつまでも「怪物のまま」でいてほしいと思ってしまう。でも現実は、度重なる怪我で思うようなプレーができない。「早熟」「期待外れ」などと言われて、悔しさやもどかしさを一番感じていたのは、他でもない本人だっただろう。

「小学生からサッカーを始め、小倉東サッカースポーツ少年団、ながながSC、田原中学、国見高校筑波大学、 現在までご指導いただいた方々のおかげで今日までプロサッカー選手としてプレーすることができました。 今でも先生方、監督は自分の憧れ、夢、目標です。ご指導いただきありがとうございました」


まるでビジネス書の「おわりに」に書かれている謝辞のような、この律儀なコメントに、彼の人間性がよく表れていると思う。2004年1月12日に国立競技場で感じたあの胸の高鳴りを、自分は14年経った今も忘れることができない。どんなすごい選手になるんだろうかとワクワクさせてもらったことに、感謝の気持ちでいっぱいだ。平山選手、今まで本当にお疲れ様でした。これからの人生に幸あれ!

 

平山相太選手から学んだこと

アスリートのピークには個人差がある。