人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【渡辺智男】清原・桑田を擁するPL学園を倒した男

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本日(3月30日)、阪神甲子園球場では『センバツ高校野球』の”準決勝”が行われた。これまでの全89回大会の中で、「最も記憶に残る準決勝」として今も語り継がれているのが、1985年の「PL学園 vs 伊野商業」である。

<1985年 選抜高校野球・準決勝>
伊野商業  200  001  000   3
PL学園  000  010  000   1

試合の概要としては、「伊野商は初回に2点を先制。PLは渡辺の前に清原が3打数無安打(1四球)、桑田が4打数無安打と完全に封じられ、5回に松山のホームランで、1点を返すのがやっとだった」ということだ。

1年の夏から甲子園を沸かせてきた、清原・桑田の「KKコンビ」が3年生となり、優勝候補の大本命だったPL学園が、地方の無名の県立高校に敗退。この高校野球史に残る「ジャイアント・キリング」の立役者となったのが、伊野商のエース・渡辺智男さんである。

個人的に、彼の存在を知ったのは西武時代。チームメイトに同姓の"渡辺"久信さんがいたので、勝手に「久信じゃない方」として覚えていたピッチャーが、実は甲子園の優勝投手で、あの清原から3三振を奪った男だと知ったのは、ずいぶんあとになってからだった。

今回、この記事を書くにあたって、Youtubeで当時の映像をチェックしてみたのだけど、まさに「豪腕」そのもの。メガネ姿の外見はまったく凄そうに見えないのに(失礼)、ダイナミックなフォームから投げ込むストレートは、「キレキレ」という言葉がぴったり!見た目と投球のギャップが、実にいい味を出していた。

中学時代に右肘を剥離骨折していた渡辺さんは、たまにしか投球練習をせず、試合では下位打線になると、明らかに手を抜いて投げていたそうだ。たしかに映像を見ると、清原さんに投げるときとそれ以外の打者に投げるときでは、全然スピードが違っている。伊野商のキャッチャーいわく、「清原さんの時だけ見たこともないようなボールがきていた」

「先発の場合は、すべて全力で投げたらもたないから、どこかでいわゆる"抜く”ことが必要」(覚悟の決め方/上原浩治


肘に不安があったために、すべての打者に全力で投げることは”物理的に無理”だったのだろうけど、結果的に「他のやつには打たしてもええ。清原と桑田だけは絶対打たすな」という監督の指示をしっかり守った。力の「入れどころ」と「抜きどころ」を冷静に見極めて投げる。理屈ではわかっていても、あの大舞台でそれを実践できる高校生はなかなかいない。

卒業後、社会人のNTT四国を経て、黄金期の西武に入団。チーム内の競争は激しく、力を抜いていられるような状態ではなくなり、4年目の後半にまた右肘が悲鳴を上げた。結局、高校時代の「省エネ投法」が、渡辺さんには一番合っていたのかもしれない。

明日の決勝戦は、大阪桐蔭履正社の「史上初の大阪対決」となった。もし自分が先発するなら、打たれたときに悔いが残らないように、最初から”全力”で投げると思う。でも渡辺さんは、こういう場面でも勝負どころ以外は”抜いて”投げていた。精神的にもかなり成熟した、異質な高校球児だったのだろう。

<参考>
『Sports Graphic Number 923号』
清原和博PL学園)vs.渡辺智男(伊野商)「怪物が覚醒させた怪物」

 

渡辺智男さんから学んだこと

力の「入れどころ」と「抜きどころ」を覚える。