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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【中田英寿】29歳の若さで電撃引退した理由とは?

サッカー

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中田英寿氏、電撃引退後「現役復帰する可能性あった」(2/24 スポーツ報知より)

 元サッカー日本代表MF中田英寿氏(40)が、24日放送の日本テレビ系特番「人生が二度あれば 運命の選択」(後9時)に出演。06年W杯ドイツ大会1次リーグ敗退後に電撃引退したが、その後現役復帰する可能性もあったことを明かした。
 インタビュアーは、芥川賞作家であり元サッカー大阪府選抜の経験もあるお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹(36)。電撃引退した理由をずばり質問された中田氏は「自分は好きでサッカーをやっていた。その“好き”の部分が楽しめなくて、その時期も長く続いていた。だったらここはいったん休んだほうがいいかなと。もしかしたら何年か後に戻る可能性だってあった」と、休養後に現役復帰する可能性があったと明かした。
 「98年に(代表に)入った時は一番下のほうで、好きで遊んでやっていい。自分の中で一番楽しかった」と中田氏。3度目の出場となった06年大会は「年齢も一番上になって、周りの目線が少しだけ『お前、少しまとめたほうがいいんじゃないか?』って。まとめるのは僕の性格に合わない」と当時の心境を語った。当時に戻れたら現役を続行した可能性があったかと問われると「引退は変わらない」ときっぱり言い切った。


「自分は好きでサッカーをやっていた。その“好き”の部分が楽しめなくて、その時期も長く続いていた。だったらここはいったん休んだほうがいいかなと」。

このままだとサッカーが嫌いになりそうだから、しばらく距離を置きたいー。そんなかんじだったのだろうか。06年ドイツW杯のブラジル戦後、ピッチで大の字になって寝転んでいたのは、中田さんが29歳のとき。年齢だけを見ると「若いよなぁ・・・」と思ってしまうのは、史上初の”50代Jリーガー誕生”のニュースを見たあとだからかもしれない。

2月23日発売の雑誌『Number』の中に、「40歳の選択、50歳の主張」という三浦知良選手と中田さんの対談企画があった。これだけで買う価値があるのではないかと思うぐらい読み応えがたっぷりで、冒頭の引退理由について、もう少し詳しく書かれていたので抜粋する。
 

「若い時は、自分の結果を一番にやっていたけど、日本代表を引っ張らなくてはならない立場になり、バランスを取って、自分の結果以上に周りをうまく使うほうの時間が長くなった時に、自分のアイデンティティが薄くなったと感じたことがあります」

「それで最終的に辞めたじゃないですか。基本後悔はないんですけど、唯一あるとしたら、自分の好きな形でずっとやっていきたかった、ということですね。周りはどうでもいいから自分を主張して、それに懸けることができたらよかったなというのは少しあります」


世の中には、人の上に立ったりみんなをまとめたりすることが、得意な人もいれば苦手な人もいる。中田さんは後者だったが、チームの中心選手になればなるほど、そういう役割を求められてしまい、「自分の好きな形」でサッカーをすることができなくなってしまったということだ。

きっと中田さんは、他人にあまり興味がないんだと思う。「他人の良いところを伸ばしたい、引き出したい」というよりも、「自分を成長させたい、高めたい」。だから、後輩に指導するよりも、先輩から色々教えてもらう方が、刺激的で楽しいのだ。

「僕は子どもの頃から自分より物を知っている人と出会うことが好きなんです。代表に入った時もカズさんが一番サッカーを知っていて、一番うまいわけで、そうするとそばに行ってしまう」

「僕は、僕より追い込んでいる人、尊敬できる人でないとダメなんですよ。女性に対してもそうで、僕より追い込んでいる人でないと付き合っていけなさそうです」


現在の日本代表は、チームのまとめ役を長谷部誠選手(フランクフルト)が務めている。本当に「キャプテンらしいキャプテン」で、まさに適任というかんじだ。中田さんももう少し生まれるのが遅ければ、自分のことだけを考えて、もっと自由にやることが許されたかもしれない。

「仕事でもっとも重要なことは適材適所の人事」(ジャック・ウェルチさんの名言)

アスリートにも色々な性格の人がいる。それをきちんと見極めて、向いているポジションや役割を任せることが大事だと実感した、中田さんの”引退理由”だった。

 

中田英寿さんから学んだこと

人には向いているポジションや役割がある。