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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【澤井良輔】銚子商で甲子園を沸かせた、ロッテのドラ1選手は今

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1月21日(土)にTBS系列で放送された『バース・デイ』に、懐かしいスラッガーが出てきた。元千葉ロッテマリーンズ澤井良輔さん。高校野球ファンならきっと覚えているだろう。かつて「西の福留、東の澤井」と言われていた、あの澤井さんである。

銚子商時代は”高校球界のスーパースター”で、雑誌の表紙を飾ったことも。1995年春の選抜1回戦では、ライバルの福留孝介選手(阪神)が率いるPL学園と直接対決。澤井さんは先制ソロを打つなど力を見せつけ、10-7で勝利。その後、勢いに乗ったチームは準優勝を飾った。

個人的に一番印象に残っているのは、その年の夏の甲子園。3回戦で敗退した銚子商が引き上げるときに、入れ替わりにベンチに入ってきたのがPL学園だったのだけど(これも何かの因縁だろうか)、澤井さんは福留選手とすれ違った際、「絶対勝てよ!」と声を掛けたのだ。

自分はこのシーンをなぜか今でも鮮明に覚えていて、キムタクと言えば「ちょ、待てよ!」だけど、澤井さんと言えば、あのときの「絶対勝てよ!」が頭に浮かんでくるのである。

そんな栄光の高校時代から一転、プロ入り後は厳しい現実に直面してしまう。ドラフト1位で入ったのに、プロのボールについていけず、2軍暮らしの日々。一方、福留選手は中日の主軸として活躍し、2002年には首位打者を獲得。「あの時(高校時代)は一緒ぐらいだったのになと思いながら(見ていた)。彼の方があっという間に首位打者も獲って、周りからも言われるし、ファンにもメディアにも、嫌でも耳に入ってきたし、本当に悔しくて」

結局、2005年に戦力外通告を受けて、27歳で引退。しばらくは独立リーグなどでコーチをしていたが、31歳のときに定年まで働ける一般企業への転職を決意。メットライフ生命保険の営業マン(正社員)として働き始めて、今年で8年目になるそうだ。

野球とは無縁の業界に転身していたとは意外だったけど、入社1年目には契約件数上位者に贈られる「ルーキー賞」を獲得。今は5人の部下を持つチームリーダーとして、会社の中でも重要なポジションを担っているとのこと。第二の人生がうまくいっている(ように見える)のは、「自分の過去とうまく折り合いがつけられた」からだろう。

「(プロ野球時代の反骨心が)ありますね。それが無くなっちゃうと、絶対できないと思います。あの時ダメだったから、もう繰り返さないようにしようというのもずっと残っているので。そうならないように、中途半端にこの仕事をしてるつもりもないし、しちゃいけないし。野球しかしてない人でも将来こうなれるんだぞ、という存在になりたい」


プロ野球で輝けなかった悔しさは「教訓」に。今も現役で活躍する、かつてのライバルの姿は「発奮材料」に。そして、自分のプロ野球カードはいつも持ち歩いて「営業のネタ」に。自分の過去を振り返って、反省すべきところは反省し、利用できるものは利用する。これができる人は、どこに行こうが何をしようが、充実したセカンドキャリアを送れるのではないかと思う。

先日、メットライフ生命は、西武ライオンズの本拠地・西武ドームネーミングライツ命名権)を取得した。「元プロ野球選手」の肩書きを持つ社員の澤井さんが、何らかの形で露出する機会があれば嬉しい。

 

澤井良輔さんから学んだこと

自分の過去とうまく折り合いをつける。