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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【照強翔輝】阪神大震災の日に、淡路島で生まれた力士

大相撲

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照強「真っすぐな道で」1・17生まれ関取初土俵(1/18 スポーツニッポンより)

◇大相撲初場所10日目(2017年1月17日 両国国技館
 阪神大震災が発生した1995年1月17日に淡路島・洲本市の病院で生まれた新十両・照強が関取として初めて土俵に上がった。
 昨年まで1月17日は3戦全勝で「力をもらっているような気がする」。この日は敗れたが、惜しい相撲だった。琴恵光を右喉輪で土俵際まで追い込むも、そこから盛り返され寄り倒された。それでも「勝てば一番良かったが、自分の相撲が取れた。(観客の)盛り上がりはあったし、いい相撲だった」と前向きに捉えた。
 朝は部屋で1人、黙とうして場所入り。「小学校のときは学校単位で黙とうしていました。僕と一緒の日に生まれた人も、大学生や社会人になって、それぞれの道で頑張っている。僕も真っすぐな道でここまで来た」。活躍することで震災を風化させない運命も背負っていく。


東野圭吾さんの小説『使命と魂のリミット』の中に、「人間は生まれながらにして使命を持っている」という一文があった。それならば、新十両・照強(てるつよし)関の使命は、「阪神・淡路大震災を風化させない」ということになるだろうか。

彼の誕生日は、1995年1月17日。誰もが忘れることができない「阪神・淡路大震災」が発生した日に、淡路島・洲本市の病院で元気な産声を上げた。時刻は午後9時ごろ。まだまだ余震が続いていて、怪我人を運ぶ救急車のサイレンが鳴り響いていたそうだ。

小学4年で相撲を始めて、中学卒業後に角界入り。四股名に込められた思いは、「周りを照らすように強くなってほしい」。168センチ、112キロの小兵ながら、多いときは1日100番もの猛稽古に励み、初土俵(平成22年春場所)から約7年で十両昇進を決めた。

そして、関取として初めて迎えた1月17日。残念ながらバースデー白星はならなかったが、18日のデイリースポーツの裏一面には、照強関の写真が大きくカラーで掲載されていた。十両の力士が、負けた日の翌日にこのような扱いを受けるのは、「震災の日に生まれた子」だからである。

同じ日に生を受けた人の中には、6800人以上が亡くなった悲しい日に生まれたことを負い目に感じ、誕生日を明かせない人もいるそうだ。でも照強関は、毎年のように取材を受けたり、記事になったりするのを疎ましく思ったことはなく、「僕と一緒の日に生まれた人も、大学生や社会人となって、それぞれの道で頑張っている。ただ、他の人は土俵に上がれない。自分にしかできない伝え方をしたい」

毎年1月17日は、力士にとっては初場所中だ。関取になれば、必ずその日に取り組みがある。新聞に「照強(◯歳)」と書いてもらえば、読んだ人は「もう震災から◯年たったのか」と実感することができる。「震災生まれ」ということを”コンプレックス”に思うのではなく、あえて”武器”にしようとしているのだろう。

生まれながらに重たい使命を背負ってしまったけれど、この日に生まれた人だからこそ、できることがある。「土俵に上がって盛り上げること。いい相撲を取って伝えること。自分にはそれしかない。ちょっとでも笑顔になってもらえたら」という頑張り屋の関取最小兵力士を、これからもずっと見守っていたいと思った。

 

照強関から学んだこと

自分のコンプレックスを武器にして生きる。