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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【松田丈志】「3番」に縁があった水泳人生

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「見事な引き際!後輩に慕われたトビウオジャパンのリーダー、長い間お疲れ様!」
 

松田 現役ラストレースは3位「自分らしい」 五輪でも3度銅(9/10 スポーツニッポンより)

 ◇2016希望郷いわて国体・成年男子400メートル自由形決勝(2016年9月9日 盛岡市立総合プール)
 成年男子400メートル自由形決勝は、今大会限りでの引退を表明している松田丈志(32=セガサミー)が、3分51秒12の3位で現役最後の泳ぎを終えた。08年北京五輪、12年ロンドン五輪男子200メートルバタフライ銅メダル、16年リオデジャネイロ五輪男子800メートルリレーでも銅メダルだった男は、ラストレースも銅メダルだった。
 最後のターンを2番手で折り返すと、10歳近く離れた後輩たちが猛然と追い上げてきた。1人に抜かれ3番手。スピードが落ちてきた松田は体にムチを打ち、残り1メートルで懸命に腕を伸ばした。五輪3大会連続で銅メダルを獲得したベテランの最後は、4位と100分の1秒差の3位。「金は獲れなかったが、3番には縁があった。自分らしいと思う」と笑った。

 

北京五輪ロンドン五輪男子200mバタフライ、リオ五輪男子800mリレーで、いずれも銅メダルを獲得した松田丈志選手(セガサミー)。「3番」に縁があった水泳人生を物語るかのように、ラストレースも4位と100分の1秒差の銅メダル。最後まで「手ぶら」では帰らない、その勝負強さはさすがの一言だ。

宮崎県延岡市出身の松田選手は、決して恵まれた練習環境で育ってきたわけではない。通っていた東海(とうみ)スイミングクラブで使っていたのは、ビニールハウスを改造した25mプール。ここで夏の蒸し暑さや冬の凍える寒さに耐えながら、世界で戦うための ”体と心の土台” を作ってきた。彼が「ビニールハウスのヒーロー」と呼ばれるのはこのためである。

一人のアスリートが五輪のメダリストになるためには「周囲の支え」が不可欠だが、松田選手は4歳のころから久世由美子コーチと二人三脚で歩んできた。宮崎を離れて中京大学に進学する際は、コーチも愛知県に移り住んで「ひとつ屋根の下」で生活。この”熱き師弟関係”なくしては、世界のトップスイマーには成り得なかっただろう。

松田選手はスポンサー探しでも大変な苦労をしていて、これまでに「ミズノ ⇒ レオパレス21コスモス薬品セガサミー」と4回も所属先を変更している。特に、レオパレス1に契約を打ち切られた後は、次の支援先がなかなか見つからず、引退を覚悟したことも。「久世コーチとセット」という採用条件に難色を示す企業が多かったようで、このことは松田選手もわかっていたはずだが、それでも二人で一緒に練習できる環境を探し求めた

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があるけど、松田選手はメダリストになってもずっと変わらないのだ。自分だけが好条件の引き抜きには応じない。お世話になった人のことをとことん大切にする。愚直で、真っ直ぐで、苦労をした分、弱者の気持ちにも寄り添える。自分はこういう「いぶし銀」のような選手が本当に大好きなのである!

銀メダルを獲得したロンドン五輪400mメドレーリレーで発した「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないという名言は、リオで「丈志さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないという後輩たちの合言葉となって返ってきた。卓球の伊藤美誠選手も「先輩たちを手ぶらで~」と言っていたし、今後も五輪のたびに使い回され、語り継がれるような気がする。

宮崎のビニールハウスから世界に羽ばたいた偉大なスイマー&支え続けた久世コーチ、28年間本当にお疲れ様でした。これからの人生に幸あれ!

 

松田丈志選手から学んだこと

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行っている人は、周囲に慕われ、愛される。