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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【塩谷司】二人の恩師が導いてくれたリオへの道

サッカー

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リオデジャネイロ五輪に臨むサッカーのU-23日本代表に、オーバーエイジ枠で選出された塩谷司選手(サンフレッチェ広島)。182センチ、80キロと身体能力が高く、お笑い芸人の楽しんごさんに似ていることでも話題になっている。

現在27歳の塩谷選手は、本田圭佑選手岡崎慎司選手らが出場した北京五輪の世代にあたる。当時は、在籍していた国士舘大学でも試合に出られない状態で、「あの時は代表などを考えるレベルの選手ではなかった。自分には縁のない大会。違う世界の話だと思っていた」。オフに渋谷で遊ぶことだけが楽しみだった大学生が、オリンピアンになるまでには「3つの大きな転機」があった。

まず1つ目は、国士舘大3年時に襲った父の急死である。3兄弟の長男である塩谷選手は、大学を中退して就職しようとしたのだが、周囲に説得され翻意。「絶対にプロになって、稼いで、家族を楽にしてやる」と、「もはや何が起きようと揺らぐことのない断固たる決意」(スラムダンク風)を固めた。

2つ目は、大学4年時に、元日本代表DF柱谷哲二さんがサッカー部のコーチに就任したことである。柱谷さんは塩谷選手をボランチセンターバックにコンバート。「あのままボランチだったら、サッカーは続けていたと思うけど、おそらくプロにはなっていなかったと思う」。現在はサイドバックもこなすことができ、「複数のポジションができるポリバレントな選手」として、今回のオーバーエイジ枠に選出された。

そして3つ目は、元日本代表の森保一さんが監督を務めるサンフレッチェ広島に移籍したことである。大学卒業時に、柱谷さんがJ2水戸の監督に就任することになり、「一緒に来るか?」と誘われて11年に水戸入り。1年目から活躍し、12年8月に広島へ完全移籍。柱谷さんは「広島で頑張って試合に出て、日の丸を背負ってオレに恩返ししろよ」と笑顔で背中を押し、オフトジャパン時代の盟友である森保監督に「塩谷が日本代表に入らなかったら、お前の指導力のせいだからな」と教え子を託した。(実に深イイ話だ!)

広島では13年からレギュラーに定着。14年からは2年連続でベストイレブンを受賞している。現在、リオ五輪出場の可否を巡って揉めている久保裕也選手(ヤングボーイズ)を見ていると、「サンフレッチェは塩谷選手をよく出してくれたなぁ」と思う。

使い古された表現だけど、「人生で起こることはすべて必然」「人生に無駄な出会いなんてない」と言われる。塩谷選手の場合は、お父さんが亡くなったことで、サッカーに対して本気で向き合うようになり、その後、柱谷さんに才能を見出され、森保監督の下で花開いた。どれか一つでも欠けていたら、リオ五輪に出ることはなかっただろう。

プロサッカー選手ではない私たちにも、今いる場所に人生を導いてくれた何人かの恩師がいたはずだ。普段は忘れがちな、そういう人たちへの感謝の思いを噛み締めながら、手倉森ジャパンを応援しようと思う。ナイジェリア、コロンビア、スウェーデンと強敵がそろう厳しいグループだけど、まずは1次リーグ突破を目指して頑張ってほしい!

 

塩谷司選手から学んだこと

自分を引き上げてくれた恩師へ、感謝の気持ちを忘れない。