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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【中野紘志】無職からのサクセスストーリー

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ボート男子軽量級ダブルスカルの日本代表、中野紘志選手(新日鉄住金)。4月に行われたアジア・オセアニア大陸予選で、大元英照選手(アイリスオーヤマ)とのペアで2位に入り、このたびリオデジャネイロ五輪出場が決まった。

一橋大学入学後に「何でもいいから日本一になりたい」とボートを始めた中野選手は、漕暦約2年で、U-23世界選手権で銀メダルを獲得。卒業後も、NTT東日本で働きながら競技を継続してきたが、昨年10月に退社。恵まれた環境を捨てて、自分でスポンサーを集める「プロ」の道を選択した。

「会社員としてやっているなら、勝っても負けても一緒。仕事なら勝たなくてはいけなくなる」と、自らを追い込むための決断だった。無職期間に食いつぶした貯金は約200万円。残高がどんどん減っていく中、「五輪に出られなかったらただの無職」と危機感を持って練習に打ち込んできた執念が実り、念願のオリンピアンとなった。

さて、今となっては信じられないことだが、アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさんにも無職の時期があったのをご存じだろうか。

宇治山田商を卒業して、1997年にワコール入りした野口さんは、当時の藤田信之監督が翌年に退社を決意すると行動をともにした。まだ実績も知名度もなく、次の移籍先が決まらなかったため、しばらくは失業手当をもらいながらハローワークに通っていたのだ。

食費も光熱費も徹底的に切り詰める日々。カボチャの皮さえ捨てまいと、キンピラにしていたという。「以前の環境とは本当に天と地の差がありました。でも工夫と、何よりも陸上への意欲や愛着を、手にできました」。世界一の称号を手にしたのは、それから6年後のことである。

先日、TBSの笹川友里アナウンサーとの真剣交際が発覚したフェンシングの太田雄貴選手も、北京五輪で銀メダルを獲得したときは無職で、「ニート剣士」として話題になった。その後、森永製菓に就職が決まり、「就職していないことがつらい時期もあった。いろんな人に支えてもらった」と涙ながらに話していたのを覚えている方も多いだろう。

きっと人間は、一生のうちのどこかで、もがいたり、つらい思いをしたり、苦労することになっているのだと思う。そして、先に大変な思いをすると、後がラクになる。それはアスリートも同じで、”無職” という不安定な立場に身を置いて(リスクをとって)でも、「無名なままでは終わりたくない」「絶対にこの競技で成功するんだ」という情熱を持ち続けた選手だけが、後から結果を残す(リターンを得る)ことができるのではないだろうか。

マイナースポーツの選手にとって、五輪は競技をアピールする絶好の機会となる。メダルを獲れば一躍脚光を浴びることは、既に太田選手が証明済み。ボートの知名度をもっと上げるためにも、中野選手は「日本人初の五輪メダリストになりたい」と思っているそうだ。

日本とブラジルの時差は12時間ということで、今回はどのぐらいLIVEで見れるかわからないけど(確実に寝不足になりそう・・・)、陸上、競泳、体操、柔道などのメジャースポーツだけでなく、競技以外の部分でさまざまな困難を乗り越えて五輪の出場権をつかんだマイナースポーツの選手たちの戦いぶりにも、しっかりと目を向けたいと思う。

 

中野選手から学んだこと

リスクをとらないとリターンは得られない。