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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【バーニー・ウィリアムス、小塚崇彦】新しい門出に乾杯!

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元メジャーリーガーのバーニー・ウィリアムスさん。1991年から2006年まで、ニューヨーク・ヤンキース一筋で16年間プレーし、4度の世界一に貢献。松井秀喜さんの良きチームメイトでもあった。

「小さい頃は、野球選手よりもプロの音楽家になりたかった」というバーニーさんは、現役時代からCDをリリースするなど音楽の才能を発揮。引退後はジャズ・ギタリストとして活動していたのだが、最近、47歳でニューヨーク州のマンハッタン音楽学校を卒業。「自分よりずっと若いクラスメートに負けないよう、勉強でついていくのは大変だった。野球での競争に負けず劣らず、厳しいものだった」と4年間の学生生活を振り返った。

現役時代のネームバリューで注目を集めることも可能だったはずだが、「技術を高め、表現力を磨き、玄人から敬意を払ってもらえる演奏家になりたかった」と本格的に勉強を開始。クラスメートは20歳も若く、世代が違うため、大半がヤンキースの選手だったことを知らなかった。バーニーさんは大スターなのに、教室では常に控えめで、ひたむきに音楽に打ち込んでいたそうだ。

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フィギュアスケート男子で、今季限りで現役を引退した小塚崇彦さん。4月17日、東京・国立代々木競技場で行われた『スターズ・オン・アイス東京公演』の最終日に出演し、1万人を超えるファンに別れを告げた。

 

本当に大変お世話になっております。トヨタ自動車所属からトヨタ自動車小塚崇彦になりました。本当に23年間、ありがとうございました。本当に楽しいスケート人生を歩めました。そして何より、ここに一緒にいてくれるみんなと同じ時代を過ごせたのが本当にいい思い出になりました。ありがとうございました。先生もそうですし、両親もそうですし、何よりもファンの皆様がこれだけ応援してくれたのでここまで続けてこられたと思います。これからは皆さんと一緒に、一ファンとしてフィギュアスケートを応援していきたいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。


小塚さんは4月1日から、トヨタ自動車の社員として再出発を果たした。「人事部 スポーツ強化・地域貢献室 地域貢献グループ」という部署に配属になり、今は氷とは縁のない生活を送っているようだ。

現役時代の実績から、引退してもプロスケーターとしてアイスショーに出演したり、指導者としてフィギュアスケートに関わっていくこともできたはずだが、小塚さんは社業に専念する道を選んだ。この「氷上を去る」という決断には、多くのファンが驚いたことと思う。

「あたらしい門出をする者には新しい道がひらける」(相田みつをさんの名言)

2015年4月、バーニーさんがヤンキース時代に背負っていた「背番号51」を永久欠番にする式典が行われた。あのイチロー選手がヤ軍では背番号31だったのは、バーニーさんに憧れるあまり、51をつけることを遠慮したためである。一方の小塚さんは、2011年世界選手権の銀メダリストで、バンクーバー五輪でも8位入賞を果たしている。

二人とも「すがって生きることが十分に許される」ほどの地位や栄光があるのに、それらをすべて捨てて、新たな世界に飛び込む決断をした。ミュージシャンとして会社員として、また一からコツコツ勉強する。こういった「ナイスな心意気」を持っている人には、きっと明るい「MIRAI」が待っている気がする。バーニーさんと小塚さんの新しい門出に乾杯!

 

バーニーさんと小塚さんから学んだこと

過去にすがって生きるのではなく、新しいことにチャレンジする。