人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【斎藤隆・朝原宣治】幸せな結末

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昨シーズン限りで現役を引退した、元プロ野球選手の斎藤隆さん。2005年に横浜を自由契約になり、36歳でメジャーリーグに挑戦。7年間プレーした後、2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスで日本球界に復帰。翌年、球団初の日本一に貢献した。

斎藤さんのこれまでのキャリアの中で(個人的に)一番印象に残っているのは、2011年、ブルワーズ時代にプレーオフで負けたときのインタビューである。「言葉にならない。チャンピオンリングを持って仙台に帰りたかった。やっぱり悔しいんですよ。すごく悔しいんです」と声を震わせながら、大粒の涙を流していたのだ。その姿を見てすごく好感を持ったし、「試合に負けて、人目もはばからず泣ける(当時)41歳ってカッコいいなぁ」と思ったことを覚えている。

引退試合となった10月4日のソフトバンク戦は、東北高校時代のチームメートが斎藤さんから贈られたユニホームを来て観戦していた。多くの友人や家族に見守られながら、生まれ故郷の仙台で日米24年間の現役生活を終える。なんて幸せな結末なのだろう!

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2008年北京五輪男子4×100メートルリレー銅メダリスト、朝原宣治さん。1993年に10秒19の日本記録を出して以来、日本陸上短距離界のパイオニアとして走り続けてきた。

アトランタシドニーアテネと3大会連続でオリンピックに出場した朝原さんは、4回目を目指すつもりはなく、2007年に地元大阪で開催された世界陸上を最後に引退するつもりだった。ところがそこで好記録が出て、手応えを掴んだことから、「まだ体が動く状態なのにやめるのは悔いが残る」と引退を撤回し、翌年の北京五輪に出場。4継リレーのアンカーを務め、見事銅メダル獲得の立役者となった。「最後にメダルを獲って競技生活を終われるとは思っていなかった。自分でもあの日のレースは凄かったと思っている」。

朝原さんは2008年9月の「セイコースーパー陸上」を最後に現役を引退。セレモニーでは、銅メダルメンバーの塚原・末續・高平らの胴上げで宙を舞い、特別ゲストのウサイン・ボルトから花束を贈呈された。長年の陸上仲間や世界一の男に見送られて、スパイクを脱ぐ。なんて幸せな結末なのだろう!

プロスポーツの世界で、戦力外通告受けずに自分の意志で引退できる選手は少ない。引退試合や引退セレモニーをしてもらえるのは、選ばれた人間だけの“特権”なのだ。人生は不公平。逆に言えば、頑張った人や実績を残した人は他の人には味わえない経験ができる、ということでもある。長きに渡って、陸上界とプロ野球界の第一人者として活躍してきた斎藤さんと朝原さん。二人の偉大なレジェンドに相応しいフィナーレだったと思う。