人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【宮里優作、ダン・ジャンセン】苦労人が報われるとみんな嬉しい

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2013年の男子ゴルフツアー「日本シリーズJTカップ」で、涙の初優勝を飾った宮里優作選手。最終日の18番で劇的なチップインパーが決まった瞬間に腰が抜けて、その場で泣き崩れていた姿を覚えている方も多いのではないだろうか。

宮里3兄妹の次男の優作選手は、アマチュア時代に数々のビッグタイトルを獲得し、鳴り物入りでプロの世界に飛び込んだ。しかし、何度も優勝争いを経験しながら最終日に崩れることが多く、それまでの11年間は未勝利。妹の藍選手の目覚ましい活躍もあり、いつしか”藍ちゃんのお兄ちゃん”と呼ばれるようになった。

それでも「焦りは無かった。勝つために何が自分に必要かずっと考えていた」と腐らずにコツコツ練習し、苦節11年でようやくつかんだ初勝利。応援にきていた両親や藍選手だけでなく、大勢のゴルフ関係者やファンが泣いていた。みんな、優作選手に勝ってほしいとずっと思っていたのだ。

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1994年、リレハンメル五輪スピードスケート男子1000mで金メダルを獲得した、ダン・ジャンセン(アメリカ)。彼は圧倒的な実力を持ちながら、長い間メダルに手が届かなかった悲運のスケーターであり、私たちに「諦めなければ夢は叶う」ということを教えてくれた偉大なスケーターである。

ダン・ジャンセンは五輪に4度出場し、そのたびに挫折と試練を味わってきた。五輪デビューとなった1984年サラエボ大会は、500mで4位。1000mで16位。金メダル最有力候補として臨んだ1988年カルガリー大会は、レース前日にお姉さんが白血病で亡くなり、精神的な動揺からか500m・1000mともに転倒して途中棄権。屈辱を期した1992年アルベールビル大会は、500mで4位とまたもメダルならず。1000mは26位に終わる。

そして迎えたリレハンメル大会。得意の500mで8位に終わり、「もう五輪のメダルは無理だ」と誰もが思った中、残された最後のチャンスの1000mで10年越しの金メダルを手にしたのである!彼のこれまでの歩みを知っている人は皆、テレビの前で声を枯らして応援していたに違いない。

15歳と245日という世界最年少でツアー優勝を果たした石川遼選手や、1度の五輪で8個の金メダルをとった水泳のマイケル・フェルプス選手は、あまりに活躍が華々しすぎて「雲の上の人」のように思ってしまうのだが、1勝を上げるのに11年かかった宮里優作選手や、1個の金メダルをとるのに4度も五輪に出たダン・ジャンセンのように苦労した選手が報われるのは、自分のことのように嬉しい気持ちになる。

「トンネルは長ければ長いほど出口が明るい」と言われる。この二人が証明してくれたように、どんな人生でも抜け出せないトンネルなんてないのだ。そして、トンネルの中にいるときは自分ひとりが苦しいように思っても、逃げずに立ち向かう姿を見ている人は必ずどこかにいるのだと思う。