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人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【和田一浩、山中伸弥】ポジション替えが大成功

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先日、今季限りでの現役引退を表明した和田一浩選手。今年6月にプロ野球史上最年長の42歳11ヵ月で2000本安打を達成した”遅咲きの打撃職人”が、キャリアに終止符を打つことになった。

現在、和田選手は中日ドラゴンズの「外野手」だが、24歳でプロ野球界に入ったときは西武ライオンズの「捕手」だった。しかし、当時の西武には伊東勤さんという不動の正捕手がいたため、外野手に転向することに。

「キャッチャーに未練はめちゃくちゃあった」そうだが、思いを断ち切って、打撃一本で勝負することを決意。その後は猛スピードでヒットを打ちまくり、名球会入りを果たすほどの大選手となった。

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2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した、山中伸弥教授。現在は「京都大学iPS細胞研究所 所長」を務めているが、元々は整形外科医になることを志し、研修医として働いていた。

しかし山中教授は手術が苦手で、他の研修医が20分で終わらせるような簡単な手術を、2時間もかかってしまう有様だった。指導医から「おまえは山中ではなく”じゃまなか”だ」と邪魔者扱いされたことで医者を断念し、研究の道に進むことに。この思い切った進路変更が、のちのiPS細胞の発見へと繋がった。

和田選手は「ずっとキャッチャーをやってきて、自分はキャッチャーで成功するものだと思ってプロ野球選手になった」。山中教授は「高校の時からずっと整形外科医になりたくて、大学も整形外科医になるために医学部に入った」。しかし、ともに現在のキャリアは思い描いていたものとは異なっている。

おそらく二人にとって、キャッチャーや整形外科医というのは、「不合格(だめ)ではなくて不適合(向いていない)」だったのだろう。そして、その現実が突き付けられたとき、「自分が向いている場所で勝負をしよう」と気持ちを切り替えられたからこそ、華々しい功績を残すことができたのだと思う。