人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【高平慎士】北京五輪・陸上400mリレーの銅メダリストが現役引退へ

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<陸上>高平が引退 北京五輪リレーで銅(4/25 毎日新聞より)

 2008年北京五輪の陸上男子400メートルリレーで第3走者として銅メダルを獲得した高平慎士(32)=富士通=が24日、チームの公式ブログで、今夏限りでの現役引退を表明した。シーズン序盤に発表した理由について「残された時間を皆さんと楽しみ、1本でも多く楽しく走っている姿をお見せしたい」とコメントした。引退後、今年度中は会社に残るが、来年度以降は未定という。
 高平は北海道・旭川大高、順大の出身で、日本選手権の200メートルを5度制した。五輪は04年アテネから3大会連続出場。塚原直貴末続慎吾朝原宣治とともに獲得した北京五輪のメダルは陸上トラック種目で日本男子初の快挙だった。
 北京五輪の同リレーに関しては国際オリンピック委員会(IOC)が今年1月、優勝したジャマイカを第1走者のドーピング違反により失格にすると発表しており、処分が確定すれば日本は銀メダルに繰り上がる。 


今から14年前の2003年2月に、横浜アリーナで行われた『日中対抗室内横浜大会』を見に行ったことがある。よく俊足の選手のことを、「風のように速い」などと例えたりするけど、この日、まだ高校生ながら男子200mで優勝を飾った高平慎士選手(富士通)はまさに「疾風」のごとく、スタートからゴールまでを一瞬で駆け抜けていった。

室内競技場のトラックで、1周が200mだったから余計にそう感じたのかもしれない。サラサラヘアーをなびかせて走る姿がすごくカッコよくて、「こういう子が将来、オリンピックに行くのかもしれないな」と思った。このとき自分が抱いた予感は、翌年に現実になる(※20歳でアテネ五輪に出場)。

もうずいぶん前の話なのに、なぜ今でも覚えているかというと、自分の座席の前列に高平選手のお父さんが座っていたからだ。レース後、目の前では親子団欒の会話が繰り広げられていた。よく顔の大きさを「おにぎり」で例えたりするけど、間近で見た高平選手の顔は「おにぎり2個分」ぐらいしかなく(超小顔!)、おまけに足が長くてスタイルが抜群だった。

自分の持って生まれたバランスが絶対ありますから。それ崩しちゃダメですよ。だって、トラとかライオンとかはウエイトしないですから。人間は知恵があるから、いろんなことやっちゃうんですよ。本来のバランスを保ってないと、筋肉は大きくなるけど、それを支えてる関節とか腱とかって鍛えられないんで。だから壊れちゃうんですよ。だって重さに耐えられないから。大きくしたらそら膝にくるし、関節にもきますよ。当たり前のことなんです」(2016年3月15日・16日、『報道ステーション』のインタビューでイチロー選手が話していた言葉)


短距離のトップスプリンターは、「筋骨隆々のガッチリ体型」というイメージがあるのだけど、高平選手は180センチ・62キロ。高校生のころから現在まで、一貫して「スラッとした体型」で世界と戦ってきた。

昨年、40歳で9秒台を出したキム・コリンズ選手(セントクリストファー・ネイビス、今年8月の世界選手権で引退予定)も細身だったが、二人とも無理に筋肉をつけて体を大きくしなかったことで、選手生活を長く続けられたように思う。イチロー選手も言っているように、「自分が持って生まれたボディバランスを崩してはいけない」のだ。

この記事のタイトルに「北京五輪400mリレーの”銅”メダリスト」と書いたけど、これからメダルの色は”銀”に変わる可能性がある。いずれにしてもこの歴史的な快挙がなければ、リオ五輪の4継銀メダルはなかっただろう。北京では第3走者を務めて、アンカーの朝原宣治さんにバトンを渡したが、次世代へバトンを繋ぐ役目も十分に果たしてくれた、男子短距離界の功労者。長い間、本当にお疲れ様でした!

 

高平慎士選手から学んだこと

持って生まれたボディバランスを大切にする。

 

【諸見里しのぶ】ツアー通算9勝の実力者が、2年ぶりに予選通過!

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諸見里2年ぶり予選通過「2年分頑張りたい」(4/23 スポーツニッポンより)

 ◇女子ゴルフツアー フジサンケイ・レディース第2日(2017年4月22日 静岡県伊東市 川奈ホテルゴルフコース富士コース=6367ヤード、パー72)
 諸見里しのぶ(30=ダイキン工業)が5番パー5でイーグルを奪うなど5年ぶりの67をマーク。15年樋口久子Pontaレディース以来2年ぶりに予選を通過した。昨年は試合出場を7試合に絞り肋軟骨炎とアレルギーの治療と休養を優先。「完璧ではないけど8割くらい」と体調は大幅に改善した。「2年ぶりに給料が入る。最終日はお給料をいくらにするか考えて。2年分頑張りたい」と声を弾ませた。


女子ゴルフで嬉しいニュースが飛び込んできた。諸見里しのぶ選手が、2年ぶりに予選通過!これまでにツアー通算9勝を挙げている実力者が、予選を通っただけで記事になるのは複雑な心境だろうけど、動向に注目していたファンはたくさんいたはず。

今大会の最終結果は18位で、18万8000円をゲット。本人は「2年ぶりに給料が入る」と声を弾ませていたそうだ。所属のダイキン工業やスポンサーから多少のお金は貰っていただろうから、全くの無収入というわけではなかったと思うけど、やはり本業のトーナメントで賞金を獲得するのは嬉しいものなのだろう。

キャリアハイだった2009年は、メジャー2大会を含む年間6勝。1年間で約1億6000万円を稼ぎ(賞金ランク2位)、押しも押されもせぬ「女子ゴルフ界のスター選手」だった。しかし、翌年からは怪我や体調不良に苦しみ、成績は下降の一途を辿ってしまう。

15年は29試合を戦って予選通過が7回。シードを失った16年は、7試合に推薦出場したがすべて予選落ち。今季も6試合に出場し、予選落ちが続いていた。

「くさくさした気分を打破するために、何か日常と違うことをしようとする。大抵はそんなことをしても何も変わらない。でも大事なのは”変えようとした”こと。結果は無駄に終わるかもしれないが、意味は行動そのものにある」(そのノブは心の扉/劇団ひとり) 

 
「落ちるところまで落ちた人間」が這い上がろうとするときは、何かを変えようと思うものだ。諸見里選手は「環境を変える」ことを決意し、活動拠点をそれまでの神戸から東京に移した。通っていたゴルフアカデミーが近くにあって、住み慣れた愛着のある土地を離れてでも、「今までの自分をリセットして、再出発を図りたかった」

これは2013年の出来事だから、試み自体はすぐには実を結ばなかったわけだが、色々なしがらみを捨てて自立への第一歩を踏み出した、その「行動そのもの」にはきっと何らかの意味があったと思う(今はまだわからなくても)。

不振に終わった15年オフ、「もう引退しないといけないかな」と思い、所属のダイキン工業に話したところ、「しっかり休んでください。サポートはしますから」という温かい言葉が返ってきたそうだ。

サッカーの内田篤人選手が在籍しているシャルケも、貴重な外国人枠を一つ使ってでも、ずっと復帰を待ち続けてくれているけど、故障や不調で苦しんでいる選手を見捨てないで、支援を惜しまない企業やクラブは、本当に温かくて、人間味があっていいなぁと思う。これからの活躍で恩返ししてほしい。だから、まだまだ魅せてくれ内田&諸見里!

諸見里しのぶ選手から学んだこと

うまくいかないときは、思い切って何かを変えてみる。

 

【瀬古利彦、岡田武史】同じ年生まれ、ともに一浪し、早大の同級生になった二人

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たまに「あの人とあの人が同級生だったなんて!」と驚くことがある。例えば、木村拓哉さんとマツコ・デラックスさん(=高校の同級生)などはその典型的な例だ。

そして、個人的に最近初めて知ったのが、瀬古利彦さんと岡田武史さん。「日本陸連・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー」と「元サッカー日本代表監督」は早稲田大学の同級生だったとのこと!

1956年生まれの二人は、ともに一浪を経て、早稲田大学に入学。箱根駅伝で活躍し、すでに有名人だった瀬古さんは、「学生の頃は岡ちゃんを知らなかった」。当時はまだ、知名度に格差があったようだが、今では「会議で忙しいよ。リーダーだもん」(瀬古)、「お前が!?やばいだろ(笑)」(岡田)などと、”コミカルなやり取り”ができる間柄になった。

昔は「格上」だった同級生と、今は「対等」な立場で話ができる。これは本当に素敵なことだと思う。なぜなら、「自分が同じ位置まで上り詰めてきた」という証でもあるし、「目指すものや見ている世界が似てきた」ということでもあるからだ。

「人脈をつくる上で、自分と波長が合う、自分とマインドが似ている、モチベーションの高さが同じ、自分のやりたいと思っていることが通じ合う、といった部分は欠かせない」(レバレッジ人脈術/本田直之


以前、高橋尚子さん、澤穂希さん、吉田沙保里選手の「国民栄誉賞トリオ」が揃ってバラエティ番組に出演していた。今では私生活でも交流があるという3人だが、昔から友達だったわけではない。それぞれが努力を重ねて、世界の頂点を極めた結果、イベントなどで共演することが多くなり、”必然的”に巡り合ったのだ。

自分自身が実力をつければ、おのずと一流の人たちと触れ合う機会も多くなる。これはアスリートだけでなく、私たちの日常生活でも当てはまることだ。まずは、自分の価値や認知度を高めることに集中する。岡田さんはそうやって生きてきたから、学生時代に「ヒーロー」だと思っていた瀬古さんと、プライベートでも酒を酌み交わす仲になれたのだと思う。

 

瀬古利彦さん&岡田武史さんから学んだこと

実力をつければ、一流の人と触れ合う機会が多くなる。

 

【伊達公子、ショーン・ホワイト】戦い続ける理由

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伊達術後初実戦 5月復帰目指す「試合できたことがうれしい」(4/13 スポーツニッポンより)

 女子テニスの元世界ランキング4位で左膝故障からの復帰を目指す伊達公子(46=エステティックTBC)が、術後初めての実戦に臨んだ。
 松山市愛媛県総合運動公園で世界ランキング77位の日比野菜緒(22=ルルルン)とエキシビションマッチで対戦。「とにかくコートに立てて試合ができたことがうれしい」と笑顔で語った。昨年2月に左膝半月板の内視鏡手術を受け、4月にも再手術。「自分のキャリアをやり終えた思いがまだない」と現役にこだわってリハビリを続けてきた。5月に岐阜で行われるツアー下部大会での復帰を目指している。


左膝半月板の手術を受けてから1年2ヶ月。46歳になった伊達公子選手が、コートに戻ってキター!この日は「エキシビションマッチ」だったが、ファン約1000人、マスコミ20社以上が駆けつけるなど、その人気と注目度の高さは相変わらずである。

自分は市民ランナーで、フルマラソンの自己ベストは3時間41分。それに対して伊達選手は、04年にロンドンマラソンを3時間27分40秒で完走している。「3時間30分を切ります」と言ってスタートして、有言実行でサブ3.5を達成。同じことをやるとその身体能力の凄さがリアルにわかるし、ますます尊敬の念を抱いてしまう。

全盛期の26歳で引退し、37歳で復帰。個人的には、「この11年半のブランクがもったいなかったなぁ・・・」と思うのだけど、ここで続けていたら”46歳の現役プロテニスプレーヤー”は存在していなかったかもしれない。「自分のキャリアとして、やり終えたという思いがまだないので、そのためにもコートに立てるようにするしかなかった。それでダメだったらダメだし。そこに行き着くまで、やれることをやってみようという気持ちだけです」

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06年トリノ、10年バンクーバーと2大会連続で冬季五輪ハーフパイプを制した、「スノーボード界の絶対王者」ことショーン・ホワイト選手(アメリカ)。19歳で初めて金メダルを獲ったときは、ロングヘアがトレードマークだったけど、30歳になった現在は、端正なショートヘアに変身している。

そんなショーン選手は、3連覇を目指したソチ五輪は4位。これによって、平野歩夢選手平岡卓選手の”日本人ダブル表彰台”が実現したわけだが、決勝で珍しくミスを連発している姿を見て、「ショーンも人間なんだなぁ」と勝手に親近感を覚えた(なんとなく、4位になるようなキャラではないと思っていたので・・・)。

あれから3年ー。彼は今も現役を続けて、来年の平昌五輪出場に意欲を燃やしている。「何かを成し遂げた実感は今のところ全くないんだ。アスリートというのは、勝つために競争を続けるものだと思っているから。まだまだ大会に出るし、勝ち続けたいと思っているよ」

 「文は人なり」という言葉がある。文章を見れば、書き手の「人となり」がわかるということだ。また、歌い手さんによれば、「歌はよりその人の生身が出る。歌は、歌う人そのもの」。他にも、「本棚には性格が表れる」「部屋の乱れは心の乱れ」など、人の内面や思考を表すものはたくさんあるけど、アスリートの「引き際」にも人間性が出るものだと思う。

絶頂期にあっさり辞める人を見ると、「競技への執着心がそこまで強くなかったんだなぁ」と思うし(これはちょっと寂しい)、体がボロボロになっても現役を続けている人を見ると、「本当にその競技が大好きなんだなぁ」と思う。

伊達選手は「やり終えたという思いがまだない」、ショーン選手は「何かを成し遂げたという実感が全くない」から今も戦い続けている。自らの意志で引退時期を決められるのは、”名高いアスリート”の特権だ。自分自身が納得できるまで、まだまだ第一線で頑張ってほしい!


伊達公子選手&ショーン・ホワイト選手から学んだこと

「引き際」には人間性が出る。

 

【大迫傑】マラソン初挑戦で「半端ない」快走!

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大迫傑3位!瀬古以来の表彰台 ボストン・マラソン(4/18 日刊スポーツより)

 陸上の日本長距離界のエース大迫傑(25=ナイキ・オレゴンプロジェクト)が、ボストン・マラソンに出場し、2時間10分28秒の3位に入った。今大会での日本人の表彰台は87年に優勝した瀬古利彦以来、30年ぶりだった。
 世界最高峰シリーズ「ワールド・マラソン・メジャーズ」に数えられる大会。初マラソンながら、30キロ付近まで先頭集団に粘ってついていった。その後は離されたが、攻めのレースを展開した。
 低迷する男子マラソン界に新風を吹き込む存在となりそうだ。優勝した2時間6分27秒の自己記録を持つキルイ(ケニア)と50秒差、2位のリオ五輪銅メダルのラップ(米国)とはわずか30秒差だった。20年東京五輪はマラソンでの出場を目指している。初マラソンでこの快走劇。今後への期待が高まる内容だった。
 大迫は早大時代には箱根駅伝などで活躍した。日清食品グループを15年3月に退社。米オレゴン州を拠点に実質的なプロとして活動している。15年7月には5000メートルの日本新記録(13分8秒40)を樹立した。


4月17日に行われた『ボストンマラソン』で、マラソン初挑戦の大迫傑選手が2時間10分28秒で3位に入る快挙!気温25度&ペースメーカーなしという、東京五輪さながらの条件下でのレースで、優勝者と1分以内でのゴールは本当に素晴らしい!

これまではトラック種目を主戦場にしていて、練習では35キロまでしか走ったことがなかったそうだが、「未知の世界」の35~40キロのラップが15分7秒!この快走を元滝川第二高校サッカー部・中西隆裕さんが見ていたら、きっと「大迫、半端ないって~」と絶叫していただろう。(※元ネタはコチラ

そんな”半端ない”大迫選手は、「ナイキ・オレゴンプロジェクト」に所属するプロランナーである。2015年3月に日清食品を退社し、日本を飛び出してアメリカへ。当初は「無謀な挑戦だ」と揶揄する声もあったが、昨年の日本選手権で5千&1万メートルの2冠に輝き、リオ五輪に出場したあたりから、だんだん周囲の見方が変わってきたように思う。

読売ジャイアンツ長野久義選手は、06年に日本ハム、08年に千葉ロッテの指名を拒否し、09年に3年越しで意中の巨人の一員となった。そのため、1年目は打席に入るたびに大ブーイングを浴び、特に入団を断られたファイターズ&マリーンズファンからの批判が凄かったそうだ。

「指名拒否をした選手は大成しない」というジンクスもある中、長野選手はルーキーイヤーから新人王、首位打者最多安打と3年連続でタイトルを獲得。ベストナインゴールデングラブ賞にも輝き、今や球界を代表するプレーヤーになった。ここまで立派な成績を残されると、他球団のファンもさすがに認めざるを得なくなる。

私たちの日常でも、会社を辞めてフリーになったり、就職活動でもらった内定を辞退する人がいる。やっていることはほとんど同じなのに、大迫選手と長野選手が叩かれるのは、「日本の実業団に入る」「ドラフトの指名は断らない」というのが、陸上界と野球界のスタンダードだからだろう。つまり、周囲と違うことをするのが気に入らないのである。

どこの世界にも存在する”人の悪口を言うのが趣味”みたいな人には、淡々と実績で示すしかない。アスリートとして結果を残すことで、野次馬を黙らせる。こういう「復讐」の仕方は、最高にカッコいい!

大迫選手は、佐久長聖時代に高校駅伝で優勝。早稲田大学では箱根駅伝で優勝&区間賞獲得。ニューイヤー駅伝でも区間賞を獲り、オリンピアンになった。一見、順風満帆な人生のように見えるけど、日本選手権で「4年連続2位」になったり、0.38秒差でロンドン五輪を逃したり、悔しい思いもたくさんしてきている。

昨年から歯列矯正を始めて、今オフにはレーシックの手術を受けた。走りのパフォーマンスを上げるために、体への投資を惜しまない。才能ももちろんあるのだろうけど、個人的には「努力の選手」のように思える。

5千メートルの日本記録保持者が、マラソンでも日本記録を更新して1億円をゲットする。そんな夢物語も、大迫選手なら実現可能かもしれない。本日(4月20日)の帰国会見では、東京五輪はマラソンを走りたい」と語っていたとのこと。まだ25歳。これからどれだけ凄いランナーになるのか、本当に楽しみだ。

 

大迫傑選手から学んだこと

結果で周囲を黙らせる。「出すぎる杭」になって打たせない。

 

【田知本愛、菅野智之】最後の一段を上り切るその日まで

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田知本愛「1つ1つ前に進むだけ」妹の遥に感謝(4/17 日刊スポーツ)

<柔道:世界選手権78キロ超級代表最終選考会兼全日本女子選手権>◇16日◇横浜文化体育館
 田知本姉妹の願いはかなわなかった-。前大会決勝で左膝を負傷してリオデジャネイロ五輪代表の座を逃した田知本愛(28=ALSOK)は決勝で朝比奈沙羅(20)に敗れた。
 万全ではななかった。3月に古傷の左膝を痛めて、今月1日の全日本選抜体重別選手権(福岡)を欠場。15日の前日会見では、けがや不安などを口にしていた。
 この日は、リオ五輪70キロ級金メダルで休養中の妹遥(26)が付き人を務めた。取材エリアでは、田知本が遥について「1年間いろいろあって下を向いている時に声をかけてくれた。感謝の気持ちでいっぱいです」と目を真っ赤にさせると、報道陣の後ろで姉のベンチコートを持っていた遥も涙した。
 この日は、2回戦から3試合連続一本勝ちで“元女王”としてのプライドも見せた。2大会ぶりの日本一とはならなかったが「止まっていた時間を進めることができた。1つ1つ前に進むだけです」と静かに闘志を燃やした。


4月16日に行われた、無差別級の日本一を決める『皇后盃 全日本女子柔道選手権大会』。第一人者の田知本愛選手(ALSOK)は、前に出る積極的な柔道で5度目の決勝進出。結果は2年連続準優勝だったが、去年とは違った感情がこみ上げてきたようだ。

1年前は決勝で山部佳苗選手(ミキハウス)に敗れて、ほぼ手中に収めていたリオ五輪代表の座を最後の最後で奪われた。しかも試合中に足を痛めてしまい、車椅子で会場を離れようとした際に代表落選を知らされたというから、その無念さは察するに余りある。

今年も3月の稽古で左膝を負傷し、痛みを抱えた中での出場となったが、「もう一度、この畳で戦えてよかった。昨年のまま終わっていたら、納得できないままだった。(昨年大会から)自分の時間が、やっと進んだと思います」。試合後は、サポート係として帯同していた妹の遥選手と、姉妹そろって笑顔で記念撮影を行っていたとのこと! 

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今年のWBCで、侍ジャパンのエースとして3試合に先発した、菅野智之選手(巨人)。原辰徳さんを伯父に持ち、”サラブレッド”と呼ばれてきたが、これまでの人生はいつも大事なところで勝つことができなかった。

東海大相模高校では、神奈川の決勝で2度負けて甲子園に出られず。東海大学では大学選手権の決勝で2度敗退。13年日本シリーズも、楽天に敗れて日本一を逃した。「僕、大きな舞台で勝ったことがないんです。ただ、そういう中で自分は強くなってきた」

そして、大役を任されたWBC準決勝・アメリカ戦。「人生を懸けるくらいのつもり」でマウンドに上がった菅野選手は、6回、81球を投げて1失点。後続が打たれて試合には敗れてしまったが、先発投手の役割は十分に果たしたと言える。「いいパフォーマンスができたのは、自分の野球のキャリアの中で、間違いなくプラスになりました」

体操の白井健三選手が、引退した浅田真央さんについて、「点数や技で勝っていても、見えない面で越えられない選手ってどの競技にもいると思う。間違いなく浅田選手はフィギュア界でそういった選手だったと思います」と語っていた(※本人のツイッターより)。

田知本選手の妹・遥選手はリオ五輪の金メダリストだし、野球界で言えば松坂大輔選手は、甲子園で優勝し、西武で日本一に、そしてレッドソックスで世界一になった。現時点でのアスリートとしての実績で言えば、愛選手と菅野選手の方が劣っているけど(真央ちゃんと似たような立場)、「最後の一段」をなんとか上り切ろうと、試行錯誤しながら、何度も何度も挑戦する姿は、二人の方が人を惹きつけるものがあると思う。

これまで歩んできた競技生活のストーリーを知っている選手は応援したくなる。”ポッと出”の若手や一発屋には、そこまで感情移入はできない。「最後の一段」はうんと高く設定されているのかもしれないけど、東京五輪で上り切る姿が見られると嬉しい。

田知本愛選手&菅野智之選手から学んだこと

トーリーを知っている選手は応援したくなる。

 

【伊藤一志】元医師・東大40歳右腕が、憧れの神宮デビュー!

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医師から夢の神宮へ…東大40歳オールドルーキー、ホロ苦デビューも大拍手(4/15 スポーツニッポンより)

東京六大学フレッシュリーグ 東大―慶大(2017年4月15日 神宮)
 40歳の異色投手、東大の伊藤一志がフレッシュリーグの慶大戦に先発、神宮のマウンドを踏んだ。
 このリーグは基本1、2年生が出場するが、東大は部員数の関係もあり3、4年生も出場できる特別処置。3年生の伊藤は立ち上がり杉本に右前打を許すと、バックの守りのミスもあり打者9人、2安打3四球の4失点(自責点1)1イニング36球でマウンドを降りた。
 ストレートは100キロ台と球威不足は否めず、コントロールにも苦しんだ。しかし東大で野球がしたいと、医師として病院勤務をしながら受験勉強に再度取り組み38歳で入学。野球経験がほとんどない中“神宮デビュー”までこぎつけた努力は評価に値する。リーグ戦への道は厳しいが、オールドルーキーの今後が楽しみだ。


今から約20年前、東京六大学野球で「東大が法大から勝ち点を挙げるシーン」をテレビで見て、憧れを抱いた高校生がいた。自分も東大野球部に入って、神宮のマウンドに上がりたいー。

その夢を叶えたのは、東京大学3年生・伊藤一志選手。この写真は若々しく見えるのだが、なんと御年40歳!『ボキャブラ天国』でお笑いコンビのBOOMERが「遅れてきたルーキー」と呼ばれていたけど、まさに「オールドルーキー」である。

しかも、ここに辿り着くまでの経歴がかなり凄いのだ。愛知県・東海高校 → 一浪 → 慶応大学商学部日本医科大学 → 医師免許を取得(31歳) → 麻酔科医として病院勤務 → 働きながら受験勉強を継続 → 10度目の挑戦で東大文科3類に合格(38歳)→ 野球部に入部 → 憧れの神宮デビュー!(←今ココ)

「東大に入る」「医者になる」「神宮球場のマウンドに立つ」。どれか1つだけでも叶えることは難しいのに、3つすべてを実現した、まるで”ドラマのような人生”である。

東海高校(偏差値75)出身だから地頭がいいのだろうけど、本人の努力やバイタリティにはただただ感服するばかり。本格的な野球経験は、小学生のときと医大時代だけなのに、親子ほど年の離れた仲間と競って、「背番号13」を勝ち取ったことも素晴らしい!

バンクーバー・ソチと冬季五輪2大会連続入賞を果たした、フィギュアスケーター鈴木明子さん。10代の若手が多く活躍する中、彼女が初めてオリンピックに出たのは24歳のとき。引退後の講演で、「私は各駅停車。たくさん特急に抜かれたが、新幹線では見られない景色があった」と語っていたそうだ。

40歳にして、憧れの神宮球場のマウンドに立った伊藤選手は、「40歳で神宮に来たかったわけじゃない。18歳で来たかった。大遅刻ですよ。でも続けてきてよかった」と照れ笑いしていたとのこと。この「大遅刻」という言葉のチョイスが秀逸だなぁと思う。

たしかに、現役で東大に受かって、大学1年生で神宮デビューできれば最短コースで一番よかったのかもしれないけど、20年も遠回りしたからこそ(各駅停車だからこそ)見られた景色があったはず。「まわり道は、情報知識のストックと、人間の幅の拡大には効果抜群」(プロフェッショナル時間術/野村正樹)なのだ。

この日、投げたのは東京六大学野球の「フレッシュリーグ」という1・2年生による新人戦(※東大は特別に3・4年生も出場可能)。より多くの選手に神宮球場でのプレーを経験してもらう目的で行われていて、伊藤選手はその恩恵を受けて夢を叶えた。次は草野球ではなく、マスターズ甲子園でもなく、六大学野球の「リーグ戦」で投げている姿が見たい!

 

伊藤一志選手から学んだこと

各駅停車だからこそ、見える景色がある。