人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【谷口武彦】オートレースの現役最年長選手、75歳で引退

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公営競技で現役最年長 75歳、オートレースの谷口が引退「最後のレースは、年のせいか厳しかった」(3/8 西日本スポーツより)

 公営競技の現役最年長選手、オートレースの谷口武彦が7日、所属する浜松市浜松オートレース場で行われた第4レース(8着)を最後に引退した。75歳99日での出走だった。同選手は1966年にデビューし、50年以上にわたって走り続けた。ビッグタイトルには手が届かなかったが、一昨年9月には地元で1着となり、自らの持つ公営競技最年長勝利記録を73歳280日に更新していた。
 レースを終えた谷口は「最後のレースは、年のせいか体力的にかなり厳しかったが『無事これ名馬』で何とか走り切ることができた。オートレース人生、悔いなしです。去年6月にレース中のけがで初めて骨折して、復帰するまでの半年間はとてもきつかった」と話した。


個人的に、谷口武彦選手の存在を知ったのは、テレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』がきっかけだった。「新・3大〇〇調査会」のコーナーで、「孫世代と戦う 偉大な老年アスリート」の一人として紹介されていたのだ。

最高時速が約150キロ以上と言われるオートレースは、一歩間違えれば「死と隣合わせ」の危険なスポーツである。そんな戦場で(放送当時)74歳のおじいちゃんが、孫ほど歳の離れたレーサーたちと熾烈な戦いを繰り広げているのを見て、「すごい人もいるもんだなぁ」と感心したことを今でも覚えている。

24歳のときに7年間勤めたバイク工場を退社し、オートレースの世界へ。その後もバイクへの思いは尽きることがなく、気付けば愛車のサドルには「もみじマーク」が貼られていた。「これなら少しは若い衆が遠慮するかなと思ったけど、義理人情もなんにもないですね。エッヘッヘ。」と、屈託のない笑顔で話す姿がたまらない!

最近は、高齢者がブレーキとアクセルを踏み間違えて、加害者になってしまう交通事故が増えている。75歳といえば、運転免許の返納を考えてもおかしくない年齢なのに、未だに大きなバイクを乗りこなすボディバランスや、猛スピードに耐えられる身体の強さを維持しているのは、本当に驚異的だと思う。

ここまで現役を続けてこられた秘訣は、「毎日の筋トレ」。レースのない日はみっちり4時間、これを40歳から始めて30年以上ずっと続けてきたそうだ(凄すぎて絶句・・・)。

そんな谷口選手の座右の銘は、「”無事是名馬”ですね。無事で長続きするのが一番いいんじゃないかと」。競技生活50年で、5424レースに出場。一度もビッグタイトルには手が届かなかったが、「無事是名馬というレース」の一等賞をとったと言っていいだろう。現在43歳の元SMAP森且行選手もとにかく無事で、あと30年は頑張ってほしい!


谷口武彦選手から学んだこと

無事是名馬」の一等賞を目指せ!

 

【西山麗】臓器移植を経験した、金メダリストのソフトボーラー

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3月5日(日)にテレビ東京で放送された、『ザ・ドキュメンタリー 私にしか伝えられない ~女子ソフトボール 西山麗~』。良質なノンフィクションで、とても感銘を受けた。一人でも多くの人に彼女のことを知ってもらいたいので、内容をまとめてみる。

今から9年前の夏、北京五輪で金メダルを獲得した女子ソフトボール。不動のショートとして、日本を世界一に導いた西山麗選手(日立)だったが、その栄光の陰では壮絶な人生を歩んでいた・・・。

5歳のときに、心臓に重い障害(=大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症)があることがわかり、医者から激しい運動を禁じられた。外で遊んだり、身体を動かすことが大好きな活発な子供で、他の人と同じことをやりたいのに我慢しなければならず、もどかしい日々を送っていたそうだ。

自分の体と相談しながら、小学校6年生までバスケットボールをやっていたが、より運動量が増える中学校では続けることが厳しくなった。そこで、攻守交代がある(=途中で休みがとれる)ソフトボールに転向。この決断が、のちの金メダリストを生むのだから人生はわからない。

中学2年生のときに、交通事故で亡くなった同じ歳のアメリカ人の女の子から心臓弁を提供され、一度目の移植手術。そして昨年、その心臓弁が寿命を迎えて、二度目の移植手術を受けた。11時間にも及ぶ大手術は無事に成功。その後、自分の体を冷静に判断し、ソフトボールを続けるべきか否か、悩んだ末に現役続行を決めた。その理由とはー。

「手術を2回して、言ったら2回死んでるじゃないですけど、そういう人ができない経験をしているので。(感謝に対する)想いは自分にしか伝えられないし。みんなが毎日しんどいとか、うまくいかなくて苦しい、もう嫌だなって思うことは、本当に苦しくて辛いことじゃないんだよって。生きているだけでありがたいし、幸せなことで、なおかつ生きていく中で、自分がやりたいことを元気な体でできるんだから、それはどんどん挑戦していくべきだし、諦めちゃいけない」。


言葉というのは、「何を言うか」よりも「誰が言うか」によって影響力が全然違ってくる。五体満足で、毎日当たり前のように生きてきた人ではなく、生きることが「当たり前ではなかった」西山選手が発するからこそ、一言一言に重みがあるし、私たちの心に残るメッセージになるのだ。

色んな事情がありながらもできるんだよっていうのは、自分にしかできないので。それはもう中学2年生の時くらいから思っていたんですよね。でも未知の世界ですよ、自分でも。たぶんいないんですよ、世界中探してもきっと。絶対自分にしか出来ないし、自分じゃないとダメなんですよ。それはあんまりプレッシャーとかには感じないんですよ。やりがいですかね」


東野圭吾さんの小説『使命と魂のリミット』の中に、「人間は生まれながらにして使命を持っている」という一文があった。この体でも一流選手になれることを証明したい-。同じ病と戦う人の星になりたいー。病気を抱えた子供たちに希望を与えたい―。

「臓器移植を行った、日本で唯一の金メダリスト」が生まれ持った”使命”を、2017年も元気にグラウンドでプレーする姿で全うしてほしい。これから西山選手の露出が増えるという意味でも、ソフトボール東京五輪の追加種目に選ばれて本当に良かったと思う。

 

西山麗選手から学んだこと

生きているだけでありがたい。しんどいことや苦しいこと=生きている証!

 

【フランク・ハーマン】楽天に「ハーバード大卒」のインテリ助っ人が新加入!

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(※ 写真は楽天ゴールデンイーグルス球団ホームページより)

三木谷オーナー、ハーバードの後輩・助っ人ハーマンに「なんで野球やっているの?」(2/16 スポーツ報知より)

 楽天三木谷浩史オーナー(51)が16日、沖縄・金武町で行われている練習と練習試合を視察した。ブルペンではWBCに出場する則本昂大(26)、松井裕樹(21)両投手のピッチングを見守り、「ボールに触ってみたら、本当に違うんだね。大変だなと思いました。故障しないように頑張って欲しい。WBCで大活躍して、無事に帰ってきてほしい」と話した。
 新加入のフランク・ハーマン投手(32)とも言葉を交わし、「ハーバード大出てるって、超インテリだよね。ウチの野球団全員の中で、一番頭いいと思う。なんで野球やっているの?って感じだけど、彼は冷静だと思うし、インテリジェンスも含めて期待してます」。自身もハーバード大で経営学修士号(MBA)を取得しているだけに、後輩に大きな期待を寄せた。


今年もプロ野球12球団に、たくさんの「助っ人外国人」がやってきた。その中でも、個人的に最も注目しているのが、楽天のフランク・ハーマン投手である。

193センチの長身から最速157キロの速球を投げ下ろす右腕で、主にリリーフとしてメジャー通算109試合に登板。と、まあここまではよくありがちな経歴なのだが、なんと彼は、名門・ハーバード大学を卒業しているのだ!

プロ野球選手になるような人は皆、子供の頃から勉強は二の次で、朝から晩まで野球漬けの日々を送ってきたのかと思いきや、このように文武両道を地で行く選手もいるのだなぁと感心してしまう。

そんなハーマン選手の愛読書は、エコノミストとファイナンシャルタイムズ。「野球選手だからといって、野球だけの目線にはしたくない。世界情勢がどうなっているのかということなど把握しておきたいのです」。楽天本社でもバリバリ働けそうなかんじだが、まずは本業の野球で頑張ってもらいたい。

野球以外で「高学歴の変わり種」といえば、お笑い芸人の石井てる美さんがいる。東大→東大大学院を卒業して、マッキンゼー・アンド・カンパニーに就職。まさに「誰もが羨むエリートコース」を歩んできたが、かねてから夢見ていた芸人になるために会社を辞めて、お笑いの世界に足を踏み入れた。

現在は、学生時代にTOEICで満点をとった語学力を生かして、「言いづらい言葉を英語っぽく言うネタ」などで活躍している(※動画はコチラ。発音が良すぎて笑えるw)。お笑い芸人はキャラを立たせることが大事。「持ち前の頭脳」は石井さんならではの武器だと思うから、うまく笑いに変えられるといいなと思う。

「不確定な未来に対して、むやみにネガティブに構える根拠はない。ならばポジティブに理想とする未来を先に想定して、そこにたどり着くにはどうしたらいいか逆算して、前向きにできることをやっていくべき」(私がマッキンゼーを辞めた理由 ―自分の人生を切り拓く決断力―/石井てる美


ハーバード大学東京大学を卒業したのなら、敷かれたレールに乗っかって、「高学歴を生かした人生」を送ることも可能だったはず。でもハーマン選手と石井さんは、学歴が有利にならない、実力主義の「プロ野球」や「お笑い」の世界に丸腰で飛び込んできた。

きっと2人の価値観の中では、「世間体」や「周りからどう思われるか」よりも、「自分がやりたいこと」の方がプライオリティが上なのだろう。人生において、”ないものねだり”をする人が多い中、持っているものをあえて捨てて、「自分がやりたいことを謳歌する生き方」というのもすごく素敵だなぁと思った。

 

フランク・ハーマン選手から学んだこと

敷かれたレールから、あえて外れる人生もあっていい。

 

【高橋大輔、小塚崇彦】その後のフィギュアスケーター

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2月10日発売の『日経ビジネスアソシエ 2017年3月号』に、高橋大輔さんのインタビューが載っていた。ビジネスパーソン向けの雑誌で見ると、なんだかいつもと違う感じがするから不思議である。

2014年、ソチ五輪で6位になったのを最後に現役引退を表明。その後、「これから何をすればいいのか」が分からなくなり、約1年間、ニューヨークに語学留学。日本にスケート靴を置いたまま、海外に身を置いて気付いたこととはー。

「ニューヨークは若者が夢をつかみに来る街。明確な目標に向かってすごいスピードで必死にがんばっている人たちを肌で感じ、ある日ふと、このままじゃいけないと思った。僕はここでお金しか使っていない。ここにいてはいけない。とにかく帰国して働かなくてはと。自分にはスケートしかないことにも、改めて気づきました


そして、昨年3月に現役引退を表明した小塚崇彦さん。 4月17日に行われたアイスショーを最後に「氷上を去る」と宣言し、所属していたトヨタ自動車のサラリーマンとして再出発。しばらく氷とは縁のない生活を送っていた。

「フィギュアスケートに恩返しを」小塚崇彦が語る、新たな出発の決意。 - フィギュアスケート - Number Web - ナンバー

あれから10ヶ月。現在の小塚さんの様子が書かれた記事があった。入社後は「強化運動部」という部署で、スポーツと関わる業務を受け持っていたが、「これからは、自分の技術を伝えることで、フィギュアスケート界に恩返しをしたいと考えています」

仕事を通じてさまざまな競技を知り、選手たちと接することができたのは刺激的だったが、フィギュアスケートだったらこうやるのにな」と、知らず知らずのうちに思考回路の主語が”フィギュアスケート”になっていた。そして昨年11月、べトナムでスケート教室をした際に気付いたこととはー。

フィギュアスケートをやっているときも、たくさんの人たちに助けてもらっていたんだな、と実感しました。なのに、フィギュアスケートを終わりにしてしまうのはもったいないなと思いました。これだけ育ててもらえたものを次の世代に、たくさんの人に伝えるのは自分にとっての大切な役割だなと思いました


「現役時代に培ったもので役に立っているのは、”高橋大輔”という名前」と本人が言うように、帰国後の高橋さんの元には、スポーツキャスターやナレーションなど、様々な仕事の依頼が殺到した。今年5月には、歌舞伎とフィギュアスケートがコラボレーションしたアイスショーへの出演も予定されている。

小塚さんは会社と話し合いを重ねた結果、トヨタに籍を置きつつ、フィギュアスケートの普及活動に取り組むことになった。「氷上に戻る」というよりは、「新たな形としてフィギュアスケートに携わる」という意識でいるそうだ。

一人暮らしをして初めて親のありがたみを感じるように、スケートから離れてみて初めてわかることがある。二人とも氷上以外の世界で生きるには、あまりにも名前が大きくなりすぎていたし、何よりもフィギュアスケートの卓越した技術を持っていた。つまり彼らは、「代わりの利かない人間」なのだ!

ニューヨークに語学留学することや、トヨタが主催のスポーツイベントでチケットのもぎりをしたり、人の誘導をしたりというのは「誰にでもできる」。でも、アイスショーに出て、華麗な滑りで観客を魅了したり、子供たちにスケーティングの基礎を教えたりというのは、「高橋さんと小塚さんにしかできない」。だからすごく価値がある。

「その人でないとできないこと」は、セカンドキャリアにも絶対に生かしたほうがいい。需要がある(お客さんが喜んでくれる)なら尚更だ。これからもスケート靴を履いた二人の姿を見られると嬉しい。

 

高橋大輔さん&小塚崇彦さんから学んだこと

代わりの利かない人間になる。

 

【今井正人】東京マラソンは日本人5位、それでも人生は続く

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プサング、国内最速V=井上が日本勢最高8位―東京マラソン(2/26 時事通信

 東京マラソンは26日、都庁から東京駅前にゴールする42.195キロの新コースで行われ、前世界記録保持者のウィルソン・キプサング(ケニア)が2時間3分58秒の日本国内最高タイムで初優勝した。従来の国内最高は2009年福岡国際でツェガエ・ケベデ(エチオピア)がマークした2時間5分18秒。
 8月の世界選手権(ロンドン)代表選考会を兼ねた男子は、井上大仁三菱日立パワーシステムズ)が2時間8分22秒で日本選手最高の8位に入り、代表の有力候補となった。山本浩之コニカミノルタ)が日本勢2位の10位。設楽悠太(ホンダ)は11位、服部勇馬(トヨタ自動車)は13位、今井正人トヨタ自動車九州)は14位だった。


ウィルソン・キプサング選手(ケニア)が、日本国内最高記録の2時間3分58秒で優勝した今年の東京マラソン。「初代山の神」こと今井正人選手(トヨタ自動車九州)は、2時間11分2秒で日本人5位。ロンドン世界選手権出場は厳しい状況になった。

2年前のこの大会で2時間7分39秒(日本歴代6位)という好タイムを叩き出し、北京世界選手権代表となったが、髄膜炎にかかり無念の欠場。昨年は13位に終わり、リオ五輪に届かず。今年も「三度目の正直」はならなかった。

それにしても、今井選手ほどの実力があるランナーが、「マラソンで一度もJAPANのユニホームを着て走ったことがない」というのは不思議である。このように、なぜか大舞台にタイミングが合わないアスリートもいれば、逆にビッグタイトルだけは外さない稀有な選手もいる。

先月行われた『ノルディックスキー世界選手権』のジャンプ女子で優勝した、カリーナ・フォークト選手(ドイツ)。W杯では優勝争いの常連ではなく、通算2勝で今季も未勝利。それが、ソチ五輪では金メダルを獲得し、世界選手権はこれで2連覇。とにかく彼女は、大きな試合になると無類の勝負強さを発揮するのだ。

個人的に、キプサング選手やフォークト選手に対しては、羨望の眼差ししかない。ただただ「すごいなぁ」というかんじ。でも今井選手や、「またやってしまった」と銅メダルに終わって涙に暮れる高梨沙羅選手には、どこか自分を重ねて共感してしまう。これはきっと、今までの人生で「挫折経験」がたくさんがあるからだろう。

思い描いた夢が叶わない。順風満帆な人生を送ることができない。そんな葛藤や苦しみを、たくさん抱えながら日々を送ってきた身としては、日本代表に縁がないマラソンランナーや、世界大会で個人タイトルをとれないジャンパーが他人事とは思えないのだ。そして、何度失敗しても、諦めずにまた立ち上がってチャレンジする姿に、たまらなく心を打たれるのである!

福島県南相馬市出身の今井選手は、6年前の「3・11」で実家が津波で半壊し、これまでに獲得したトロフィーや賞状が流されてしまったそうだ。過去の栄光がなくなったのなら、その分これから日本代表のグッズを集めたい。現在32歳。ベテランの域には入っているけど、東京五輪は十分に目指せる年齢だと思う。険しい顔や、憂いを帯びた表情ではなく、笑顔のゴールが見たい。

 

今井正人選手から学んだこと

諦めずに何度もチャレンジする姿は、挫折経験者の大きな励みになる。

 

【成田緑夢】平昌パラリンピック出場を目指す、成田三兄弟の末っ子

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成田緑夢、スノボクロス連覇「ヒーローになりたい」(2/19 日刊スポーツより)

スノーボード:全国障がい者選手権大会>◇19日◇長野・白馬乗鞍温泉スキー場◇男子スノーボードクロス(下肢障害など)決勝
 パラスポーツの期待の星、成田緑夢(ぐりむ、23=近畿医療専門学校)が2連覇を達成し、大腿(だいたい)義足クラスで初優勝した山本篤(34)と平昌大会での共演を望んだ。
 成田はスノーボード一家の次男として、06年トリノ五輪に出場した兄童夢と姉今井メロともに1歳からスノーボードに親しんできた。スノーボードとスキーのハーフパイプ(HP)で活躍し、ソチ五輪を目指していたが、13年4月にトランポリンの練習中に着地を失敗して、腓骨(ひこつ)神経左膝下まひとなった。障害者手帳は6級に認定された。
 しかし、スポーツは諦めなかった。ソチ・パラリンピックから正式種目となったスノーボードクロスに挑戦しようと昨年の同大会に出場して優勝。今季は日本代表選手として、海外遠征に参加した。昨年10月のワールドカップ(W杯)で4位、その後のW杯では2度の優勝を飾り、一気に平昌大会の期待の星となった。「1つだけ極めるという日本の文化を変えたい。僕はヒーローになりたいんです」。スポーツ万能の天才が偉業に挑む。 


先日、携帯電話の機種変更をしに行ったら、店頭でなにやらキャンペーンをやっていた。自分もクジ引きに参加する資格があると言われ、試しに引いたところ、なんと1等のお米(5キロ)が当たったのだ!まあそれは良かったのだが、突然、米をポンと渡され、家まで抱えて帰るはめになり、「5キロって重いなぁ・・・」と。

成田緑夢(ぐりむ)選手が足に障害を負ってしまった事故は、自宅でトランポリンを飛んでいて、「両足首にスキーの板の重さを想定した2.5キロずつの重りを付け、2回転宙返りで5メートルを飛ぶジャンプを1日に300回繰り返すトレーニング」をしている最中に起こったとのこと。

両足首に2.5キロの重りだから、からだ全体では5キロになる。つまり、さきほどの5キロの米を持って、トランポリンの上で300回転するようなもの。一般人の自分にはとても考えられないし、アスリートでもさすがに無茶な練習だったんじゃないかと思ってしまう。

父・隆史さんのスパルタ教育で話題になった、スノーボード「成田三兄弟」。兄・童夢(どうむ)さんと姉・今井メロさんは揃ってトリノ五輪に出場し、緑夢選手も当然のようにオリンピックを目指していたが、19歳のときに上記のアクシデントが発生。このとき医者からは、「左足切断かもしれない」「歩ける確率は20%」「スポーツもできなくなる」と言われたそうだ。

誰の人生にも多少の紆余曲折はあるものだけど、ここまで振り幅が大きいと、立ち直るのには相当の時間がかかったはず。自分の足の状態を理解した上で、それでも夢を諦めず、「五輪は無理でもパラリンピックがある」。こう考えられるようになるまでには、どれほどの絶望や失意をくぐり抜けてきたのだろう。

「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」(パラリンピックの創始者=ルードヴィヒ・グットマン博士の名言)

最近、たまたまテレビで緑夢選手を見たのだけど、実に爽やかで、受け答えもしっかりしていて、周囲に不快感を与えるような要素は全くなかった。「成田三兄弟」は上の二人の印象があまりにも強烈すぎて、どうしても色眼鏡で見てしまうけど、末っ子は本当に魅力的な「一人のパラアスリート」。だから素直に応援したい。

「障害を持った人、けがして引退を迫られている人に夢、感動、希望を届ける。それが大けがをした自分に課せられた使命」。自らの人生において、グッドマン博士の言葉を体現していってほしい!

 

成田緑夢選手から学んだこと

閉ざされた可能性を嘆くのではなく、残された可能性に懸ける。 

 

【中田英寿】29歳の若さで電撃引退した理由とは?

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中田英寿氏、電撃引退後「現役復帰する可能性あった」(2/24 スポーツ報知より)

 元サッカー日本代表MF中田英寿氏(40)が、24日放送の日本テレビ系特番「人生が二度あれば 運命の選択」(後9時)に出演。06年W杯ドイツ大会1次リーグ敗退後に電撃引退したが、その後現役復帰する可能性もあったことを明かした。
 インタビュアーは、芥川賞作家であり元サッカー大阪府選抜の経験もあるお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹(36)。電撃引退した理由をずばり質問された中田氏は「自分は好きでサッカーをやっていた。その“好き”の部分が楽しめなくて、その時期も長く続いていた。だったらここはいったん休んだほうがいいかなと。もしかしたら何年か後に戻る可能性だってあった」と、休養後に現役復帰する可能性があったと明かした。
 「98年に(代表に)入った時は一番下のほうで、好きで遊んでやっていい。自分の中で一番楽しかった」と中田氏。3度目の出場となった06年大会は「年齢も一番上になって、周りの目線が少しだけ『お前、少しまとめたほうがいいんじゃないか?』って。まとめるのは僕の性格に合わない」と当時の心境を語った。当時に戻れたら現役を続行した可能性があったかと問われると「引退は変わらない」ときっぱり言い切った。


「自分は好きでサッカーをやっていた。その“好き”の部分が楽しめなくて、その時期も長く続いていた。だったらここはいったん休んだほうがいいかなと」。

このままだとサッカーが嫌いになりそうだから、しばらく距離を置きたいー。そんなかんじだったのだろうか。06年ドイツW杯のブラジル戦後、ピッチで大の字になって寝転んでいたのは、中田さんが29歳のとき。年齢だけを見ると「若いよなぁ・・・」と思ってしまうのは、史上初の”50代Jリーガー誕生”のニュースを見たあとだからかもしれない。

2月23日発売の雑誌『Number』の中に、「40歳の選択、50歳の主張」という三浦知良選手と中田さんの対談企画があった。これだけで買う価値があるのではないかと思うぐらい読み応えがたっぷりで、冒頭の引退理由について、もう少し詳しく書かれていたので抜粋する。
 

「若い時は、自分の結果を一番にやっていたけど、日本代表を引っ張らなくてはならない立場になり、バランスを取って、自分の結果以上に周りをうまく使うほうの時間が長くなった時に、自分のアイデンティティが薄くなったと感じたことがあります」

「それで最終的に辞めたじゃないですか。基本後悔はないんですけど、唯一あるとしたら、自分の好きな形でずっとやっていきたかった、ということですね。周りはどうでもいいから自分を主張して、それに懸けることができたらよかったなというのは少しあります」


世の中には、人の上に立ったりみんなをまとめたりすることが、得意な人もいれば苦手な人もいる。中田さんは後者だったが、チームの中心選手になればなるほど、そういう役割を求められてしまい、「自分の好きな形」でサッカーをすることができなくなってしまったということだ。

きっと中田さんは、他人にあまり興味がないんだと思う。「他人の良いところを伸ばしたい、引き出したい」というよりも、「自分を成長させたい、高めたい」。だから、後輩に指導するよりも、先輩から色々教えてもらう方が、刺激的で楽しいのだ。

「僕は子どもの頃から自分より物を知っている人と出会うことが好きなんです。代表に入った時もカズさんが一番サッカーを知っていて、一番うまいわけで、そうするとそばに行ってしまう」

「僕は、僕より追い込んでいる人、尊敬できる人でないとダメなんですよ。女性に対してもそうで、僕より追い込んでいる人でないと付き合っていけなさそうです」


現在の日本代表は、チームのまとめ役を長谷部誠選手(フランクフルト)が務めている。本当に「キャプテンらしいキャプテン」で、まさに適任というかんじだ。中田さんももう少し生まれるのが遅ければ、自分のことだけを考えて、もっと自由にやることが許されたかもしれない。

「仕事でもっとも重要なことは適材適所の人事」(ジャック・ウェルチさんの名言)

アスリートにも色々な性格の人がいる。それをきちんと見極めて、向いているポジションや役割を任せることが大事だと実感した、中田さんの”引退理由”だった。

 

中田英寿さんから学んだこと

人には向いているポジションや役割がある。