人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【本田真凜】衣装を忘れて緊張が吹っ飛び、シニアデビュー戦で優勝!

f:id:skipp-beat:20170921065718j:plain

(※ 写真は時事ドットコムより)

本田真凜「衣装は一番最初にスーツケースに入れました」V一夜明けトロントへ移動(9/17 スポーツ報知より)

 フィギュアスケートのUSインターナショナルでシニアデビュー戦Vを飾った本田真凜(16)=関大高=が一夜明けた17日、ソルトレークシティ空港で取材に応じ「全然変わらない。すぐに頑張ろうという気持ちになりました」と話した。
 カナダ・トロントでフリーの振り付けを手直しした後デトロイトへ渡り、新SPの振り付けに入る。耳にした瞬間にほれ込み、完成していた「タンゴ」からの変更を決断したピアノ曲。「練習の時からリンクで大きい音をかけて、想像にまかせて滑っている」というほど楽しみにしている。
 祝福のLINEは100件ほど届いた。SPでホテルに衣装を忘れたことへの反響は大きく「優勝より衣装のことが広まっている」と苦笑い。荷造りのため、一睡せずに早朝の空港に現れた真凜は「衣装は一番最初にスーツケースに入れました」と笑っていた。


フィギュアスケーター本田真凜選手(関大高)のシニアデビュー戦は、ショートプログラム・フリーともに1位で、2位以下に約15点差を付ける圧勝!注目される中で結果を出せるというのは、アスリートとしての大きな魅力である。

今回の試合会場は、標高約1300メートルの高地にあるソルトレイクシティ。シニアになって3分30秒→4分に伸びたフリーは体力面に不安があるため、コーチから「飛ばさないように」と声を掛けて送り出されたにもかかわらず、最初から全力で「飛ばして」、ジャンプを「跳んだ」。

そのため、酸欠と疲労で手足がしびれ、後半途中からは記憶が「飛んだ」。リンクを降りた途端に目の前にあったベンチに倒れ込み、キス・アンド・クライにも辿り着けなかったほどの熱演。可愛いけれど、本当に気持ちが強い、サムライみたいな女の子なのだ!

前日のSPでは、衣装をホテルに忘れるハプニング。6分間練習が始まる15分前、「たまたま」いつもより早めに着替えてアップしようとカバンを開けたら、なんと衣装が入っていなかったそうだ。今大会は「たまたま」試合会場とホテルが近かったため、事なきを得たが、このハプニングのおかげで緊張が吹っ飛び、本番では落ち着いて演技ができたとのこと。「演技以上に、早めに着替えようとした自分を褒めたい」というコメントにも大物感が出ている。

2013年に男子マラソンの川内優輝選手(埼玉県庁)が『エジプト国際マラソン』に出場する際、自宅からパスポートを持ってくるのを忘れて、主催者が用意した航空機に搭乗できなかったことがあった。その後、自腹(本人談で約26万円)で別便のチケットを購入し、現地入り。レースの結果は大会新記録で優勝!このときの”公務員ランナー”と同じように、衣装の「ドタバタ劇」を、自らの演技で取り返した形となった。

小学生のときに、ランドセルを忘れたまま登校したこともあるくらい、普段から忘れ物が多いという本田選手。フリーの日はホテルのドアに、「衣装を着ていく。」「スケートぐつ入れたか確認する。」と書いた紙を貼って、出発前に忘れ物がないかを入念にチェックしていたそうだ。こういうちょっと抜けている、不完全なところがまたいい!

妹が人気子役の本田望結ちゃんで、自身もオスカープロモーションに所属していることもあって、最近はかなり露出が多くなっている。これから平昌五輪シーズンが本格的に到来すると、嫌でも世間の喧騒の渦に巻き込まれることになるだろう。

でも、浅田真央さんが年齢が足りずにトリノ五輪に出られなかったことを思うと、「夢舞台への挑戦権がある」というのは本当に幸せなことだ。シニア1年目で失うものは何もない。女子シングルの2枠を巡る争いは、いったいどんな結末が待っているのだろうか。
 

本田真凜選手から学んだこと

「不完全さ」が人を惹きつける。

 

【野村祐輔】広陵で準優勝だったあの夏から10年、ついに甲子園で優勝!

f:id:skipp-beat:20170919193129j:plain

(※ 写真はNumber Webより)

野村、甲子園胴上げ導く 10年前、決勝で散った聖地「持っているすべてを出す」(9/18 デイリースポーツより)

 優勝へのマジックを「1」としている広島は、野村祐輔投手(28)が37年ぶりのリーグ連覇が懸かる18日の阪神戦(甲子園)に先発する。17日のヤクルト戦(マツダ)は台風接近により、午前9時45分に中止が決定。通常通りマツダスタジアムで最終調整した右腕は気合十分。敵地甲子園での胴上げを誓った。「できること、やらないといけないことをしっかりやっていく。残り(シーズン)わずかなので、持っている力を全部出したい」。
 舞台は10年前、夏の甲子園大会決勝で悲劇的に散った聖地。その話題を振られると「そう来ましたか」とクスリと笑い、「自分の持っているすべてを出すだけです」とサラリと受け流した。過去は振り返らない。野村はもっと先に視線を向けている。リーチをかけている2年連続2桁勝利も「自分のやることをやって、結果は後から」と強調。「優勝が決まれば、その先がある。そのための準備がある。クライマックスシリーズ日本シリーズ。まだ目標がある」と力を込めた。


「スポーツは筋書きのないドラマ」だと言われるが、その場その場で各選手が全力でプレーをし、いろいろなことが巡り巡った結果、まるで「出来すぎた筋書き」があったとしか思えないような展開になることがある。

カープのマジック「1」で突入した秋の3連休。9月16日(土)のヤクルト戦は持ち越し、17日(日)は台風接近のため中止。残念ながら、本拠地・マツダスタジアムで決めることはできなかったけど、その結果、あの野村祐輔選手が甲子園で投げてチームが優勝するのだから、「巡り合わせの妙」のようなものを感じずにはいられない。

広陵のエース”として挑んだ07年夏の甲子園決勝。佐賀北を7回まで1安打に抑えていたが、4-0の8回1死満塁から押し出し四球で1失点。続く打者に逆転満塁ホームランを浴びて、準優勝に終わった。

押し出しを与えた打者に、カウント1-3から投げたど真ん中の直球を「ボール」と判定され、「えー、今のはストライクじゃないの?」というような驚いた野村選手の顔、そしてバッテリーを組んでいた”世界の小林”こと小林誠司捕手(巨人)が、ミットを何度も地面に叩きつけて悔しがっていた姿は、今でも覚えている。

あの夏から10年ー。いつもポーカーフェイスの野村選手は、今回の登板前も「いつもと変わらず頑張りたい」とだけ話していたそうだが、因縁の地・甲子園で、チームを優勝に導く6回1失点のナイスピッチング。本人はもちろん、高校時代からのストーリーを知っているカープファンの喜びもひとしおだろう。ノムスケ、本当におめでとう!

塗り替えたいんでしょうね、思い出とか記憶とか。
傷を思い起こさないために。塗り替えようとしているんです。
涼太との思い出も、涼太の中の痛い私の記憶も。
新しい思い出に替えちゃえばいいのかなーって。
今時の言葉で言うと、記憶を上書きするって言うんですかね。
(『続・最後から二番目の恋』で小泉今日子さんが演じる主人公、吉野千明のセリフ)


カープが優勝した前日の9月17日、歌手の安室奈美恵さんが、故郷の沖縄・宜野湾海浜公園で「デビュー25周年記念ライブ」を行った。2012年も同じ場所で「20周年ライブ」を開催予定だったのだが、台風の影響で中止に。晴天に恵まれた今回は、6年越しでリベンジを果たした格好となった。

自分の思い通りの展開にならなくて、回り道を強いられたとしても、元気で長生きして、ずっと第一線で活躍していれば、「目に見えない脚本家」が記憶を塗り替える(悔しい過去を清算する)機会を与えてくれるのだ。

「甲子園の決勝から感情を失った」と言われていた野村選手がビールかけではしゃいでいる姿を見て、普段はMCを行わないことで有名な安室さんが、珍しく「また遊びに来てね。バイバーイ!!」とファンに呼びかけたというニュースを聞いて、「記憶が上書きできて良かったなぁ」と思わず目頭が熱くなった、2017年の秋の3連休だった。

 

野村祐輔選手から学んだこと

苦い記憶は、新しい思い出に塗り替える。

 

【室伏広治】鉄人が「ミズノ→アシックス」に移籍

f:id:skipp-beat:20170918152322j:plain

室伏広治氏がアシックスとアドバイザリー契約(8/12 スポーツ報知より)

 スポーツ用品メーカー大手のアシックスは11日、04年アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダルの室伏広治氏(42)とのアドバイザリー契約で基本合意したと発表した。
 今後、同社の製品の研究開発などに協力する。室伏氏は「第2の人生について、スポーツへの恩返し、研究、そしてアスリートのセカンドキャリアでどのように活動できるかと考えてきた。今後さらなるスポーツの発展に協力できればと思っている」と語った。
 室伏氏は昨年6月の日本選手権を最後に現役を引退。20年東京五輪パラリンピック組織委員会スポーツ局長を務めながら、東京医科歯科大学教授として研究活動にも力を入れている。


これは野球で言うと「巨人から阪神」に、サッカーで言うと「レアル・マドリードからバルセロナ」に移籍するようなものだろうか。

1997年からミズノに所属し、約20年に渡って同社の顔として活躍してきた、ハンマー投げ室伏広治さん。昨年9月に退社し、約1年が経った今年の9月1日から、アシックスとの間で”アドバイザリースタッフ契約”を結んだ。

個人的に、就職活動をしていたときに、スポーツメーカーで働きたいなぁと思って、ミズノとアシックスは両方受けたことがある。結果は、アシックスは書類選考で落とされ、ミズノは1次のグループ面接(面接官は明らかに興味がなさそうだった・・・)でお祈りメールをいただいた。自分が入りたくても入れなかった2社をはしごするとは、さすが金メダリストである。

9月13日発売の『週刊新潮』にこの件に関する記事が出ていたのだが、やはりライバル社への移籍ということで、「なぜ、よりによって・・・」と陸上関係者の間で波紋を呼んでいたそうだ。ミズノ陸上部の監督や選手にまったく相談もなく、皆ショックを受けていたとのこと。このように”裏切り者扱い”をされてまで転職した理由とはー。

記事によると、東京五輪には「ゴールドパートナー制度」というものが導入されていて、公式の”日の丸ウェア”などはアシックスが約150億円で落札。東京五輪パラリンピック組織委員会のスポーツディレクターを務めている室伏さんとしては、「アシックスに転職した方が、活躍の場が広がると考えたのではないか」(ミズノ幹部社員の話)ということだった。

人生はほかの人のために生きるものじゃない。
たとえ、きみの愛する人たちを傷つけたとしても、
自分がこれだと思う道を行かなければ。
きみに読む物語ニコラス・スパークス) 


もし東京五輪のゴールドパートナーがミズノだったなら、きっとこういうややこしいことにはならなかっただろう。今回は事情が事情なだけに、仕方がないと思える部分もある。室伏さんの中では、ミズノの社員として「お世話になった会社に貢献すること」よりも、東京五輪のスポーツディレクターとして「スポーツ界全体を盛り上げること」の方が、優先順位が上になってしまったのだ。

この2つが両立できれば一番良かったのだが、現実的にはそれぞれのスポンサーが違うので活動がしにくい。だから、ニコラス・スパークス風に言えば、愛する人(ミズノの人)たちを傷つけたとしても、自分がこれだと思う道(アシックス)に行った」のである!

先日、男子100メートルで日本人初の9秒台を出した桐生祥秀選手(東洋大)は、アシックスのスパイクを履いている。本気ならアシックス。9月16日(土)のTBS『バース・デイ』で、室伏さんの元を訪れてトレーニングに励む様子が放送されていたけど、もしかしたらこれは「アシックスつながり」なのかもしれないと思った。

 

室伏広治さんから学んだこと

人生は他の人のために生きるものじゃない。自分がこれだと思う道へGO!

 

【アレクサンドラ・クルニッチ】伊達公子選手のラストゲームの対戦相手、勝利者インタビューで涙

f:id:skipp-beat:20170915070030j:plain

(※ 写真はサンケイスポーツより)

伊達公子破ったクルニッチ涙「勝ってしまいごめん」(9/12 日刊スポーツより)

<テニス:ジャパン女子オープン>◇12日◇東京・有明テニスの森公園
 今大会を最後に現役引退を表明していた伊達公子(46=エステティックTBC)が初戦でアレクサンドラ・クルニッチ(24=セルビア)に0-6、0-6で敗戦。これが現役最後の試合となった。
 試合後には急きょセレモニーが行われ、勝利したクルニッチは涙を浮かべながら「この試合がどのくらい大事な試合だったか、みなさんも分かっていると思いますし、私にとっても大事な試合でした。とても感情的になった瞬間でした。私としては、伊達選手の対戦相手が私でなければいいのにと思っていましたが、非常に良い経験ができました。とても興味深いキャリアを持った方だと思います。その引退劇の一部に関わることができたことを光栄に思っています。伊達選手はこの先、とても明るい未来が待っていると思いますし、幸せなお気持ちだと思います。きょうは勝ってしまってごめんなさい」と話し、伊達も笑顔で見守っていた。 


文は人なり」という言葉がある。これは、文章を見れば書き手の人となりがわかるということだが、アスリートが発する「コメント」にも人柄や人間性が出るものだと思う。

先日、伊達公子選手(エステティックTBC)の現役ラストゲームの記事を読んで、自分はそれまで存在を知らなかった「アレクサンドラ・クルニッチ」というセルビアの女子テニスプレーヤーの大ファンになった。なぜなら、試合後の勝利者インタビューのコメントが、あまりにも素晴らしかったからだ。

「伊達選手が負ければ引退」ということは事前に知っていたそうだが、手加減は一切せず、力強いストローク、左右に揺さぶるコントロールで圧倒。13ポイントしか与えない一方的な試合展開となり、「感情的になった試合だった。私が勝ってしまってごめんなさい。プロなので仕方がなかったんです」と、勝利者インタビューで涙していたとのこと。

試合終了直後には、ヘアバンドを外して深々とお辞儀。こういう姿を見ると、日本人としては感極まるものがあるし、これを機に名前を覚えて、今後も応援したくなるのが人間の性である。

46歳の伊達選手に対して、クルニッチ選手は24歳。母親と娘ほど歳が離れている相手に、0-6、0-6のストレート負け。もし自分が伊達選手の立場だったら、結果はもちろん残念だけど、でもきっと嬉しいと思うのだ。クルニッチ選手が「最後まで全力で戦ってくれた」ことが。

プロ野球のピッチャーの引退登板では、バッターが「忖度」して豪快に空振りをすることがある。でも、テニスのシングルスは1対1の勝負。しかも、この試合はエキシビションや招待試合ではなく、公式戦なのだ。生活がかかっているプロテニス選手としては、わざと負けるわけにはいかない。

伊達選手としても、中途半端に情けをかけられるよりも、ここまで容赦なくやられたことで、未練なく、清々しい気持ちでコートを去れたんじゃないかと思う。だから、クルニッチ選手は勝っても申し訳なく思う必要なんて全くないし、誰も責める人なんていないはず。むしろ「あっぱれ」や「熱盛」を送りたい気分だ!

アスリートの寿命は永遠ではない。辛いことだが、いつか誰かが必ず引導を渡す役目をしなければならない。クルニッチ選手のこの日のプレーやコメントには、テニス界の”レジェンド”に対する最大限の敬意が表れていたように思う。伊達選手のラストゲームの対戦相手が彼女で本当に良かった!

 

アレクサンドラ・クルニッチ選手から学んだこと

引退する選手への最大の敬意の表し方=手加減せず、全力でプレーすること。

 

【中田久美】グラチャン終了後のインタビュー中に、監督が悔し涙

f:id:skipp-beat:20170913214245j:plain

中田久美監督が5位に悔し涙「土台はできつつある」(9/10 日刊スポーツより)

<バレーボール:ワールドグランドチャンピオンズ杯>◇最終日◇10日◇名古屋市・ガイシプラザ
 日本は最終戦の中国戦で1-3で敗れ、今大会を2勝3敗の5位で終えた。
 選手が通り過ぎていく取材ゾーンで、日本代表の中田久美監督(52)がインタビューを受けていた。突然、後ろを向く。カメラに顔が映らないようにした。目元をぬぐい、必死に心を落ち着かせようとしている。目は真っ赤で、涙があふれている。カメラに向き直る。「どういう涙ですか」の問いに「悔しいですね。年取ると涙腺がゆるくなって」と言って、苦笑いを浮かべたが、複雑な思いがまじった涙に映った。
 やや時間をおいて再び涙の理由を聞かれると「どうしたんでしょうね。選手が、頑張ってくれたという気持ちだけです…」と言いながら、必死にこみあげる涙を我慢していた。(※写真も同記事から引用)


日本女子バレーボール界を長らく牽引してきた木村沙織さんが引退し、新生「中田ジャパン」の船出となった『ワールドグランドチャンピオンズカップ』(通称:グラチャン)。

今大会の対戦相手は、韓国以外は世界ランキングが格上のチームばかり。結果は2勝3敗の5位だったが、ストレート負けは一度もなし。ロンドン五輪金メダルのブラジルに勝つなど、見応えのある試合ばかりだったように思う。

今年4月に行われたフィギュアスケーター浅田真央さんの引退会見で、涙がこぼれそうになったときに、報道陣にくるりと背中を向けてこらえたシーンがあったけど、グラチャン全試合終了後の中田久美監督のインタビューでも、同じことが起こった。

最初は「よろしくお願いします」と普通に話していたのだが、突然、真央ちゃんのように後ろを向いて涙。しばらくしてカメラに向き直り、目元を拭いながら、「いや、悔しいですね。やっぱりね。(選手たちは)よく頑張ってくれたと思います、最後まで。ただやっぱり勝負事なので、結果にはこだわっていかないといけないと思うし。色々勉強になります」。

一生懸命やって負けた悔しさというのは、選手も監督も同じ。オリンピックや世界選手権につながるような大会ではなくても、本気で勝ちたいと思って臨んだ試合に負けたら、やっぱり悔しいのである。泣きたいとか、泣きたくないとかじゃなくて、悔しくて自然に涙が出てくるのである。監督のこの姿を見て、発奮しない選手はいないだろう。中田ジャパンはこれからきっと強くなる!

そんな中田さんといえば、やはり忘れられないのは、2004年の「てめぇら、コノヤロー事件」である。アテネ五輪出場を決めた日の夜、フジテレビの『すぽると』に生出演した選手たちが浮かれているのを見て、VTR中に「てめぇら、コノヤロー!」と怒鳴ったのが音声に入ってしまったのだ!映像がスタジオに戻ると、そこにはシーンと静まり返った選手たちの姿が・・・。

2015年、『世界陸上北京大会』の女子マラソンの選考で、横浜国際で優勝した田中智美選手(第一生命)が落選し、大阪国際で3位だった重友梨佐天満屋)が代表に選ばれたことがあった。タイムは2人とも2時間26分台。優勝者が落選するという前代未聞の事態に、増田明美さんが「これでいいんでしょうか?」と日本陸連の幹部に対して異議を唱えていた。

中田さんも増田さんも、現役を引退して、今はバレーボール協会や陸連から仕事を回してもらっている立場である。だから、内心どう思っていようと、番組を盛り上げるために選手におべんちゃらを言う。選考も一度決まったことは覆らないのだから黙っておく。これが「スマートな大人の対応」だと思うのだけど、2人はそういうことはしないのだ。

これから先の自分の仕事がどうなるかよりも、「バレーボール界」「マラソン界」のことを、何よりも第一に考えている。五輪で勝つためには出場権を獲ったくらいで浮かれていてはダメだし、結果を出した選手が報われない選考方法は絶対におかしい。だから生放送だろうと相手が誰であろうと、そのことをきちんと主張する。こういう”損得勘定抜き”の言動をする人は、人間として芯が通っていると思うし、個人的に大好きだ!

「てめぇら、コノヤロー事件」が起こった『すぽると』を見て、「中田さんが監督になったら、全日本は強くなるだろうなぁ」と思った人も多かっただろう。久光製薬を率いてプレミアリーグを3度、全日本選手権を4度制するなど、指導者としての実績は抜群。”最強”かつ”最恐”の監督で東京五輪を迎えられるというのは、選手にとってもファンにとっても本当に幸せなことだ。3年後の本番では、どうせなら嬉し涙を流す姿が見たい!

 

中田久美監督から学んだこと

”損得勘定抜き”の言動をする人は、人間として信頼できる。

 

【LS北見】宿命のライバルを倒して、いざ平昌五輪へ!

f:id:skipp-beat:20170912182825j:plain

カーリング LS北見が平昌五輪切符!中部電力下す(9/10 スポーツニッポンより)

 カーリングの平昌五輪女子日本代表決定戦最終日は10日、北海道・アドヴィックス常呂カーリングホールで行われ、第4戦はLS北見が9―5で中部電力を下して通算成績を3勝1敗とし、初の五輪出場を決めた。
 第1、3戦に勝利し、代表切符に王手をかけていたLS北見。第1エンドで3点を獲得し主導権を握ると、第2エンドで1点を返されたが第4エンドでドローが決まり2点。試合を優位に進めた。
 第5エンドは2点を奪われたが、第6エンドは後攻の有利性を生かして1点追加し、第7エンドでは2点をスチール。最後は3点差をつけて歓喜の瞬間を迎えた。(※写真も同記事より引用) 


まさに「破顔一笑」という言葉がよく似合う写真である。チーム創設8年目で、初の五輪出場を決めたLS北見。メンバー5人全員が、歯医者に置いてある模型みたいなキレイな歯並びをしている!サンスターやライオンなどオーラルケア事業を行っている会社は、今すぐCMのオファーをした方がいい。

昨年の世界選手権で2位になり、平昌五輪の出場枠を獲得。「自分たちが権利をとってきたのだから、絶対に日本代表になりたい」と思っていただろう。見ている側としても、一番自然な形に収まったような気がする。

今から4年前、ソチの出場権を獲ってきたのに、決定戦で北海道銀行に敗れて夢舞台への道を断たれた中部電力。そのとき、悔しい思いをしていたスキップ・藤沢五月選手(15年4月にLS北見に加入)がついにオリンピアンになった。試合終了後、万感の思いを込めて古巣の応援席に一礼をする姿を見て、「ええいああ 君からもらい泣き」である。

そしてもう一人の立役者は、サード吉田知那美選手。北海道銀行の一員としてソチ五輪に出場したが、大会後に戦力外通告を受けてしまう。自信を失い、カーリングを辞めることを考えていた彼女に、本橋麻里選手が「代表を目指し、もう一回やろう」と声をかけ、14年6月にLS北見に加入した。

先日、陸上男子100メートルで日本人初の9秒台を出した桐生祥秀選手(東洋大)が、LINEに400通の祝福メッセージが届いたと言っていた。「タイムを出したら親戚が増えるって聞いていたけど、誰だろうっていう人からもきて、これが言われていたやつかと思った」。

それに対して、今年、デビュー作の『影裏(えいり)』で芥川賞を受賞した沼田真佑さんが贈呈式に呼んだ知人は、「自分が腐りかけたときに一緒に飯を食べてくれたり、やけになりかけたときに長電話に応じてくれたり、金のないときに金をくれた人」。

世の中には、都合がいいときだけ寄ってくる人がたくさんいる。でも、結果が出ないときや精神的にきついときに、親身になってくれる人が本当の友達である。吉田選手いわく、「(本橋選手は)カーリングだけでなく、いろんなところで支えてくれた」。そんな恩人の”マリリン”とともに手に入れた五輪切符は、喜びもひとしおだろう。1つの試合の中には、たくさんの人間ドラマがあるのだ!

チームの大黒柱・本橋選手にとっては、トリノバンクーバーに続いて3度目のオリンピックとなる。10年8月の創設当初は周囲から「無理だ」と言われ、選手の勧誘・コーチの招請・練習場所の確保など、すべてを1人でこなしていたそうだ。

今回、試合中に着ていたジャージにはたくさんのワッペンが。活動費用を賄うためのスポンサー集めも、相当頑張ったことが見て取れる。カーリングにかける”情熱”、そして今大会は自分はリザーブに回るという”冷静”な判断、「冷静と情熱のあいだ」が素晴らしい!

チーム名のロコ・ソラーレというのは、「常呂から太陽のような輝きを持ったチームに」という思いが込められている。日本カーリング界初の輝くメダル獲得なるか。平昌五輪の表彰台で、5人揃ってキレイな白い歯を見せて笑っている姿が見たい!

 

LS北見のメンバーから学んだこと

結果が出ないときや精神的にきついときに、親身になってくれる人が本当の友達。

 

【鳥谷敬】祝・阪神の生え抜きでは2人目の通算2000本安打達成!

f:id:skipp-beat:20170911183734j:plain

(※ 写真は朝日新聞デジタルより)

鳥谷 感無量 甲子園で決めた「ファンの方の声援が後押ししてくれた」(9/8 スポーツニッポンより)

セ・リーグ 阪神―DeNA(2017年9月8日 甲子園)
 阪神鳥谷敬内野手(36)が8日、甲子園球場で行われたDeNA18回戦でプロ野球史上50人目となる通算2000本安打を達成した。
 本拠・甲子園球場が大歓声に包まれた。2点を追う2回。1死一塁で鳥谷が打席に向かう。通算1999安打と大台に王手をかけて臨んだその第1打席、井納からライナーで右中間を破る適時二塁打を放った。
 「打ったのはフォーク。いつもと変わらず後ろの打者につなぐつもりで打席に入った。打席に入った時の歓声が凄かったですね。ファンの方の声援が後押ししてくれました」
 拍手喝采を浴びた鳥谷はヘルメットを取って歓声に応えると、早大で二遊間を組んだ1年後輩のDeNA・田中浩、2000安打を達成している福留から花束を贈られ、笑みを浮かべた。  


阪神鳥谷敬(たかし)選手が、9月8日のDeNA戦で史上50人目の通算2000本安打を達成!タイガースの選手が、甲子園球場で偉業を成し遂げたのは初めて。たまたまこういう巡り合わせになるところが、「持ってる男」ってかんじである。

入団2年目からレギュラーになり、実働14年目での到達は、日本人ではプロ野球最速タイ。エリート街道を歩んできたように見えるが、本人は2000本安打は目標にも、考えたことも、打てるとも思っていなかったそうで、「毎日試合に出て、一本打てたらもう一本という感じでやったのがこの数字になった」

ゆずの北川悠仁さんが、今年デビュー20周年の節目を迎えた際に、「大きい志は昔からなく、ただ一日でも長くゆずをやっていたいとしか思っていなかった」と語っていたけれど、長きに渡って第一線で活躍している人は、意外と「目の前の一日を精一杯過ごすこと」しか考えていないのかもしれない。

早稲田大学の同級生で、今年6月に一足早く2000本安打を達成した青木宣親選手(メッツ)が祝福のコメントを寄せていたのだが、鳥谷選手の学生時代の印象は、「とにかく(同期の中でも)突出していた。それなのに誰よりも練習し、野球に対する意識が人一倍強かった」。

1年春からレギュラーの座をつかんだ鳥谷選手に対して、青木選手が頭角を現したのは3年春から。人間は「かなわないな」と思う人に出会うと、その差を埋めるための努力や工夫をするようになる。”突出した同期”の存在は、のちのメジャーリーガーに大きな影響を与えたはずだ。

誰にとっても、優先順位の決定はそれほど難しくない。
難しいのは劣後順位の決定、なすべきでないことの決定である。
(創造する経営者/ピーター・F・ドラッカー


鳥谷選手は大学時代、2年春に3冠王を獲得。しかし、直後の秋のリーグ戦では他校の厳しい攻めに遭い、打率も2割台で、ショートのベストナインも東大の選手に獲られてしまった。それが相当悔しかったらしく、「こんな生活をしていてはダメだ!」と一念発起。寮の部屋のテレビや、野球以外の日用品をすべて押し入れの中にしまって、人の3倍くらい練習するようになったそうだ。

当時からストイックで、今も趣味は「トレーニング」。キャンプ中は午前5時前には起床し、シーズン中は試合開始6時間前から準備を始める。「何かを犠牲にできる選手じゃないと、一流にはなれない」ことを、自らの名球会入りで証明してみせた。

 

鳥谷敬選手から学んだこと

人生の目標を達成するために、「やらないこと」を決める。