人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

優れた成績(結果)を残す選手には、必ず理由(原因)がある。アスリートがプレーで表現してくれたことを、わかりやすい文章に落とし込んで発信します。

【渡辺和也】30歳のオールドルーキー、夢の箱根駅伝出場に一歩前進!

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“オールドルーキー”東京国際大・渡辺 箱根への道つないだ「スタミナつけて貢献を」(10/14 スポーツニッポンより)

 オールドルーキーの箱根駅伝への道がつながった。14日の箱根駅伝予選会で、東京国際大は10時間10分34秒の10位となり、ギリギリで2年ぶり2度目となる本戦の出場権を獲得した。実業団の四国電力時代の11年に世界選手権5000メートルの出場経験を持ち、日清食品グループを退社して今春入学した渡辺和也(30)はチームで9番目のタイム。「みんなの若さを感じて、みんな速いなと思った。15キロ以降ペースが落ちてしまった」と振り返り、「みんなに助けてもらった」と安堵の表情を浮かべた。
 指導者になるという目標を持ち、人間社会学部で教育心理学などを学ぶ。春先は体重がベストよりも7キロも重い62キロで、負担がかかり右ヒザを故障。夏合宿前はAチームにも入っていなかったが、予選に向けて調子を上げてメンバーに入った。本番に向けては、「おじさんも負けられない。スタミナをつけてチームに貢献できるようにしたい」と気合を入れていた。


2017年10月14日に行われた『箱根駅伝予選会』で、30歳の渡辺和也選手(1年)が在籍している東京国際大が10位に入り、本大会出場を決めた。箱根駅伝は出場回数の制限(=4回まで)はあるが、年齢制限はない。この日のタイムはチームで9番目。このままいけばメンバーに入れるかもしれない!

渡辺選手は、駅伝の名門・報徳学園を卒業後、実業団の山陽特殊製鋼四国電力日清食品グループで活躍。2011年の韓国・大邱世界陸上5000メートルにも出場した一流のランナーである。そんな選手が大学生になった理由とはー。

8月2日に発売された『大学駅伝2017夏号』に、彼のインタビューが載っていた。特集のタイトルは「三十路の1年生、変わらぬ夢を追い求めて」。それによると、「高校卒業後に、強くなるためにと判断して実業団に進んだが、当時から指導者になりたいという思いを持っていた。日本で指導者になるんだったら、箱根駅伝を経験するのはプラスになると思って、進学を考えるようになった」らしい。

日清食品のOB・松村拓希さんが東京国際大でコーチを務めていることもあって、同大の夏合宿に参加。昨年11月に社会人入試に合格し、この春から大学生としてのスタートを切った。「周りがみんなライバルの実業団と違って、大学は仲間と励まし合いながら走れるのがいい」。他の学生と同じように寮に入って、掃除などもしているとのこと。この写真を見ても、1回りほど年下の選手たちに溶け込んでいるのがよくわかる(見た目も若い!)。

今年、引退を表明した北京五輪代表の竹澤健介さんは、報徳学園の1つ上の先輩にあたる。30代になり、競技を退く同世代も増えてきた。でも、渡辺選手は引退した選手を気にするのではなく、まだまだやっている選手を励みにしているそうだ。

「ハタチになろうが30になろうが、何かを始めるのに遅すぎるということは絶対にないんだ」

これは、野球漫画『ROOKIES(ルーキーズ)』の主人公・川藤幸一の名言である。今年は東大野球部の伊藤一志選手が、40歳にして憧れの神宮デビューを果たしたというニュースもあった。夢を追いかけるのに年齢は関係ない。来年の1月2日か3日に、30歳のオールドルーキーが箱根路を走る姿が見たい!


渡辺和也選手から学んだこと

何かを始めるのに「遅すぎる」ということは絶対にない。

 

【尾崎将司、オクサナ・チュソビチナ】トップカデゴリーで戦い続けるベテラン選手たち

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70歳・尾崎将司が2度目エージシュート達成「後半は全盛期を彷彿とさせるね」(10/6 スポーツニッポンより)

 男子ゴルフの「ツアーワールド・カップ」(愛知・京和CC)は6日、第2ラウンドを行い、尾崎将司(70)が70でホールアウトして年齢以下のストロークで回るエージシュートを達成した。
 ジャンボはこの日、3バーディー、2ボギー。「きょうはティーがよかった。ここ4、5年で一番。後半の内容は全盛期を彷彿(ほうふつ)とさせるね」と自身2度目の快挙を笑顔で振り返った。
  エージシュートシニアツアーなどでは過去に何度かあるが、男子レギュラーツアーでは今回の偉業を含めてジャンボが達成した2度がすべてだ。66歳でプレーした2013年の「つるやオープン」の第1ラウンドで62をマーク。エージシュート第1号に輝いている。それ以来、誰も踏み入れることのなかった領域に、再び入ったのもジャンボということになった。(※写真は「みんなのゴルフダイジェストより)


男子ゴルフの『ツアーワールド・カップ』で、尾崎将司選手が自身2度目のエージシュートを達成!70歳という年齢で、レギュラーツアーを70で回る。さすがは”ゴルフ界のレジェンド”である。

今となっては知らない人も多いかもしれないが、ジャンボ尾崎さんは元プロ野球選手。海南高校時代には、春のセンバツ甲子園で優勝投手になっている。若くして栄光をつかんだ選手が、シニアツアーからの誘いを断り、レギュラーツアーで戦うことにこだわる姿。個人的には全然嫌いじゃない!

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42歳チュソビチナ、安定した跳躍を2本そろえ満足感「とても良かった」/体操(10/8 サンケイスポーツより)

 体操・世界選手権第6日(7日、カナダ・モントリオール)女子跳馬決勝で42歳のオクサナ・チュソビチナ(ウズベキスタン)は年齢が半分以下の宮川らと競って5位に入った。難度を抑え、安定した跳躍を2本そろえ「とても良かった」と満足感を示した。
 大会期間中に国際体操連盟(FIG)アスリート委員会の体操女子代表に選出され、存在感は健在だ。超ベテランは今後も国際大会に出場する意向を示した。


先日行われた『体操世界選手権』で、白井健三選手と村上茉愛選手(ともに日体大)が種目別・床運動でアベック優勝を果たした。

2人は同級生で、今年21歳なのだが、年齢的にちょうど2倍となる42歳のオクサナ・チュソビチナ選手(ウズベキスタン)がこの大会になんと「選手」として出場していたのだ!

リオ五輪の日本代表選手では20歳の寺本明日香選手(中京大学)が最年長だったように、女子体操は極めて選手寿命が短い競技である。そんな中、子供と同じぐらいの年齢の選手と戦って、種目別の跳馬で5位入賞。「素晴らしい」以外の言葉が出てこない。

チュソビチナ選手は、これまでに7度五輪に出場し、1992年のバルセロナ五輪団体で金メダルを獲得している。”世界一”の称号を手にしてから25年たった今も現役を続け、実力は世界のトップレベルをキープ。内村航平選手とまた違った意味で、”体操界のレジェンド”と言っていいだろう。

尾崎選手もチュソビチナ選手も、カテゴリーを下げれば(シニアに転向すれば)、きっと無双状態だと思うのである。もしジャンボさんが50歳でシニアに転向していたら、この20年間でかなりの大金を稼いでいたはず。でも、「シニアは格落ち。現役をリタイアした選手が逃げ込むもの」というポリシーを貫いて、「永久シードの乱用」などと揶揄されても、レギュラーツアーに固執する。チュソビチナ選手に至っては、45歳で迎える東京五輪に「出たい」と言っているそうだ。

まだまだ若い選手には負けたくないー。ツアー通算112勝、五輪・世界選手権合わせて13個のメダルを獲得しているアスリートとしての「プライド」や「こだわり」。これからも応援したいと思う。2人とも、引き際を自分で決められるだけの十分な実績を残してきた。私たち外野がとやかく言うのは控えた方がいいだろう。


尾崎将司選手&オクサナ・チュソビチナ選手から学んだこと

カテゴリーを下げずに競技に向き合う姿は、多くの人に刺激を与えている。

 

【川口悠子】ロシア代表として、バンクーバー五輪でペア4位になったスケーターが引退

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(※ 写真はNumber Web より)

フィギュア川口悠子、引退へ ペアで五輪4位(9/25 朝日新聞デジタルより)

 フィギュアスケートのペアでロシア代表として2010年バンクーバー五輪に出場し、4位に入賞した川口悠子(35)が引退を決めたと、ロシア・フィギュアスケート連盟が22日、ホームページで発表した。ロシア・タス通信によると、川口のコーチは「平昌五輪代表に選ばれるのが難しくなり、引退を決めた」と話している。
 愛知県生まれの川口は06年からロシア人の男子選手、アレクサンドル・スミルノフとペアを組み、09年にロシア国籍を取得。バンクーバー五輪4位入賞のほか、09年と10年の世界選手権で銅メダル、欧州選手権でも10年と15年に優勝した。川口は14年のソチ五輪で引退する意向だったが、ソチ五輪には出場できず、現役を続けていた。


2017年10月7日、フィギュアスケートの本格的なオリンピックシーズンの幕開けとなる『ジャパンオープン』が開催された。今季はシニア初参戦となる本田真凜選手(関大高)が注目されているが、戦いの舞台に上がってくる選手もいれば、去っていく選手もいる。

ロシア代表として、バンクーバー五輪のペアで4位入賞を果たした川口悠子選手が、このたび現役引退を決めたとのこと。パートナーのアレクサンドル・スミルノフ選手のケガによりソチ五輪は断念し、その後も現役を続けていたが、今度は自身がアキレス腱を断裂。平昌五輪の出場が厳しい状況になり、氷上を去る決意をしたようだ。

2009年、五輪出場のためにロシア国籍を取得。同じように国籍を変更してオリンピアンになった例としては、リオ五輪男子マラソンにカンボジア代表として出場した猫ひろしさんがいる。

彼は日本よりも競技レベルが低く、弱い立場にあるカンボジアの”特別枠”を行使したことで物議を醸したが、川口選手はフィギュア大国・ロシアでのハイレベルな代表争いを勝ち抜いての五輪出場。実力で文句を言わせない。なんてカッコいい生き様なんだろう!

なでしこジャパンの川澄(カワスミ)奈穂美選手ならぬ、川口・スミルノフの「川スミペア」で個人的に最も印象に残っているのは、バンクーバー五輪のフリーで”スロー4回転サルコウ”を回避したことである。

直前にコーチに指示され、気持ちの切り替えができないまま臨んだ本番は、安全策のはずの3回転で右手をつく着氷失敗。SPは3位だったがフリーは7位、総合4位でメダルを逃してしまった。

スポーツに「たら・れば」は禁物だと言われる。それはわかっているけど、「もしあのとき4回転にチャレンジしていたら・・・」と思わずにいられない。安全策で銅メダルが獲れていたら結果オーライだったが、4位だから余計に切ない。本人たちもやりたかっただろうし、ファンとしても見たかったなぁと今でも思う。やっぱり人生は「やらない後悔」より「やって後悔」の方が、諦めもつくし納得できるのだ。

川口選手は来月、36歳の誕生日を迎える。同級生のトリノ五輪女子シングル金メダリスト・荒川静香さんが24歳で引退したことを思えば、干支一回り分長く現役生活を続けたことになる。ペアやアイスダンスの選手はシングルよりも息が長いと言われるけれど、異国の地で数々の苦労や怪我を乗り越えて、これは本当に凄いことだ。

競技と並行してサンクトペテルブルグ国立大学を卒業し、日本語・英語・ロシア語のトリリンガルとのこと。引退後も語学力を生かして、日本とロシアの架け橋となるような存在でいてほしい。川スミペア、長い間お疲れ様でした!

 

川口悠子選手から学んだこと

「やらない後悔」より「やって後悔」。

 

【クリス・マレーロ】「本塁踏み忘れ事件」が10万号メモリアル弾の伏線に!

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ついに出た!プロ野球10万号 マレーロがメモリアル弾 100万円ゲット(9/29 スポーツニッポンより)

 シーズン終盤を迎えたプロ野球は29日、セ・パ両リーグ合わせて3試合が行われ、ついに通算10万号となる本塁打が飛び出した。
 オリックスのクリス・マレーロ外野手(29)がロッテ戦の6回に成田からレフトスタンドへ叩き込んでメモリアル弾をマーク。1936年のリーグ戦開始から82年目にして刻まれた区切りの一発に、スタジアムは大歓声に包まれた。
 マレーロは今年6月9日に来日1号を放ったものの、本塁を踏まなかったことで三塁打とされ“幻の本塁打”を放っていたが、そのおかげで?通算10万号を呼び寄せた形となった。 


スポーツでよく使われる言葉として、「記録に残る選手」と「記憶に残る選手」というのがあるが、このたび「記録にも記憶にも残る選手」になったのが、オリックスの助っ人外国人、クリス・マレーロ選手である。

9月29日のロッテ戦で、プロ野球通算10万号となるホームランを放った。どこの世界にもこういう「持ってる人間」はいるものだけど、なんと彼はこの強運を自分で引き寄せていたのだ!


1軍デビューとなった6月9日の中日戦で、左中間へ一発を放ったが、喜びのあまりホームベースを踏み忘れてしまい、来日1号が幻に。でも、このときにきちんと踏んでいたら今回のホームランは「10万1号」だったわけで、賞金100万円を手にすることもなかった。

つまり、自分がやらかした「本塁踏み忘れ事件」がメモリアル弾の伏線になっていたのだ!今、マレーロ選手が滝沢カレンさんに四字熟語であだ名をつけてもらったら、間違いなく「自作自演」になるだろう。

今回、通算9万9999号を放った(本来なら10万号だった)T―岡田選手は「賞金100万円は半分半分ですよ」。本塁踏み忘れを見逃さずアピールした中日・松井雅人捕手は「僕のおかげですよ!賞金を分けてほしいです」。ともに金目当てのコメントが笑える。当の本人は、記者会見に「ベース踏み忘れTシャツ」を着て笑顔で登場。この愛されキャラぶりといったら!

こういうニュースを聞くと、「人生は何が幸いするかわからない」ものだと改めて実感する。2010年のドラフト会議で、ヤクルトは1位で斎藤佑樹選手(日本ハム)を指名したが抽選に外れ、次に塩見貴洋選手(楽天)を指名したがまたも抽選に外れてしまう。そして、3度目の正直で指名したのが、2年連続トリプルスリーを達成した山田哲人選手だったのだ。

くじを2回も外してしまった小川淳司監督(当時)は、「スカウトにも球団の方にも申し訳ない」と肩を落としていたそうだが、今となってはその年一番の当たりクジを引いたと言っても過言ではないだろう。

私たちの日常生活においても、最初は自分が本来望んでいたことではなかったとしても、後々それでよかったと思えることがある。第一志望の大学に落ちても、滑り止めで入った大学で一生の友人に出会えるかもしれないし、第一志望の会社に落とされて、仕方なく内定をもらった会社に入ったら、意外と水が合って毎日楽しく過ごせるかもしれない。

人生をロングスパンで考えて、目の前の失敗や挫折は、のちの伏線に変えればいいんだー。結果的に歴史に名を刻んだマレーロ選手を見ていて、そう思った。

 

クリス・マレーロ選手から学んだこと

人生は何が幸いするかわからない。失敗や挫折は、のちの伏線に変える。

 

【清宮幸太郎】ホームランも凄いけど、「コメント力」もなかなか凄い!

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早実・清宮がプロ表明 偉大な先輩・王貞治氏の「868本目指す」(9/22 デイリースポーツより)

 高校通算111本塁打早実・清宮幸太郎内野手(3年)が22日、東京都国分寺市の同校で会見し、「私、清宮幸太郎はプロ志望届を提出することを決めました」と国内プロ野球球団への入団希望を明らかにした。
 清宮は会見で目標とする選手を問われると、早実の偉大な先輩、王貞治ソフトバンク球団会長の名を挙げるとともに、「(王氏の持つ最多記録の)868本塁打は目指さないといけないという使命感はある」と語った。
 清宮は将来の目標に「メジャーリーグ本塁打王」を掲げており、進路についてはこれまで系列校の早大進学のほか、米国の大学をステップにする方法も報じられていた。この日の会見でも、メジャーリーガーへの夢について問われると、「子供のころからの夢へ向かい、一つ一つ階段を上がっていきたい」などと答えた。(※写真も同記事より引用)


進路が注目されていた清宮幸太郎選手(早稲田実業高)が、プロ志望届を提出。10月26日のドラフト会議に向けて、12球団の争奪戦のゴングが鳴った。プロで通用するか否かや、バッティングフォームがどうとか言うのは野球評論家の方にお任せするとして、個人的に注目したのは彼の「コメント力」である。

トップリーグヤマハ発動機ラグビー部の監督で父の克幸さんから、取材を受けるときは「目をそらすな、もじもじするな、自分の言葉で話せ」と言われてきたそうで、いつも声が大きくて、ハキハキしている。そして、まだ高校生なのに「コメント力」がかなり高いのだ!

<独断と偏見で選んだ、清宮語録ベスト5>

■ 「甲子園で王さんが投げるのに、早実がいないのは失礼」(1年夏の甲子園、OBの王貞治さんが始球式をすることを受けて)
■ 「人生でも類を見ないようないいホームランでした」(1年夏、甲子園で第1号を打って)
■ 「私たちは野球を愛しています」(3年夏、西東京大会での選手宣誓。小林麻央さんが最後に残した「愛してる」が頭にあった)
■ 「準優勝でしたが、日本一のチームです」(3年夏、西東京大会決勝で東海大菅生に敗れて)
■ 「カナダから応援しています」(U-18ワールドカップでカナダ遠征中、授業が始まったクラスメートからの「お前もテスト受けろよ」というメールに返した言葉)


清宮選手は、「一生懸命頑張ります」みたいな通り一遍の答え方は絶対にしないし、すべて自分の言葉できちんと話している。こういう「コメントがそのまま新聞の見出しになるようなことを言える選手」って、なかなかいないと思うのである。

少なくとも野球界では、長嶋茂雄さん(※「失敗は成功のマザー」「私も初めての還暦を迎えまして」などが有名)とイチロー選手ぐらいしか思い浮かばない。松井秀喜さんや大谷翔平選手(日本ハム)はすごく礼儀正しい受け答えをするが、あまりメディア受けを狙った発言はしないイメージがある。

これまでに芥川賞をとった作家や、妻の妊娠を発表したアスリートはたくさんいるけれど、「ジーパン1本しか持ってないのにベストジーニスト賞みたい」と言った沼田真佑さんや、「バンビーノだと思います」と言った長友佑都選手(インテル)の会見は、今でも印象に残っている。もしこれが「皆さんのおかげで賞をとれました」「男の子です」だったら、きっと記憶の底に埋もれてしまっていただろう。やはり、ここぞという場面で「見出しになるようなコメントを言える能力」は大事なのだ!

しかも清宮選手の場合は、自分の発言がどんなふうに報道されるか、どれだけ影響力があるかをよく分かっているような気がする。自分の立ち位置を客観視した上で、あえて「868本を目指す」と言い切る度胸。プレーだけでなく、精神面でも高校生離れしていることは間違いない。

大学進学よりもプロ野球選手になった方が、一挙手一投足が注目されて、コメントを耳にする機会も多くなるだろう。高校3年間の活躍で、「ラグビー清宮監督の息子・幸太郎」と「清宮幸太郎の父・克幸さん」のパワーパランスは逆転した感がある。プロ入り後はホームランだけでなく、エッジの効いたコメントでも私たちを楽しませてほしい!

 

清宮幸太郎選手から学んだこと

「見出しになるようなコメント」を言える能力が大事。

 

【渡部香生子】ユニバとインカレで平泳ぎ2冠、笑顔の再出発!

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(※ 写真は、早稲田大学 競技スポーツセンターのHPより)

渡部香生子2冠で自信回復「リオ後は辞めて仕事に就こうかと…」(9/3 デイリースポーツより)

◇「競泳・日本学生選手権」(3日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)
 女子200メートル平泳ぎ決勝が行われ、15年世界選手権金メダルの渡部香生子(20)=早大=が2分24秒22で優勝し、100メートル平泳ぎに続いて2年ぶりの2冠を達成。「1年生以来の2冠なので、タイムはもう少し出したかったけど、すごくうれしい」と声を弾ませた。
 低調に終わった昨夏のリオデジャネイロ五輪後は専属コーチの指導を離れ、早大の一員として再スタートした。今夏の世界選手権代表は逃したものの、8月のユニバーシアード大会で3冠を達成。自信も取り戻しつつ有り、「リオ五輪後はどん底で『もう水泳を辞めて仕事に就こうか』と考えた時期もあったが、また水泳を楽しめている」と前向きに話した。
 2年前に世界女王となった200メートル平泳ぎについても「この種目で世界(のトップ)を経験してきたし、色んな思い出がある。一時期は嫌いになったが、自分にはこの種目の存在が大きい」と、世界への挑戦をあらためてアピールした。


「若いときには、そういう淋しく厳しい時期を経験するのも、ある程度必要なんじゃないかしら。つまり人が成長する過程として。樹木がたくましく大きくなるには、厳しい冬をくぐり抜けることが必要なみたいに。いつも温かく穏やかな気候だと、年輪だってできないでしょう」。

これは村上春樹さんの『女のいない男たち』に出てきたフレーズである。「渡部香生子」というスイマーも、厳しい冬(うまくいかない時期)をくぐり抜けて、木の年輪のように一年一年、確実に成長している。たくましくて、大きな選手になるためにー。

15年世界選手権の「200メートル平泳ぎ金メダリスト」として臨んだリオ五輪は、準決勝敗退。昨年12月には、陸上でのトレーニング中に右足首を捻挫。歯車がうまく噛み合わない日々が続き、「東京五輪なんて絶対に出たくない。大学までで水泳は引退して、何か別の仕事でもしようかと考えた時期もあった」。

それでも、同じ早稲田大学水泳部の坂井聖人選手や渡辺一平選手らが世界の第一線で戦う姿に刺激を受け、「このままだと何も残らない。自分のためにも周りの人のためにもならない」と奮起。今季は世界選手権の出場を逃したが、8月のユニバーシアードと9月のインカレで平泳ぎ2冠。「こういう結果が久しぶり。なんか、全部が吹っ切れた感じ」。

かつては”岩崎恭子さんの再来”とも言われた天才スイマーが、どん底から脱出し、東京五輪を目指して笑顔の再出発。水泳ファンにとっては、本当に嬉しいニュースである。

のちのちのことを考えれば、
挫折がある方がストーリーは面白くなる。
全部が順調な人って、応援したくなくなってしまう。
挫折がないからストーリーに起伏がないし、
心配もないから、応援しなくても大丈夫だと思ってしまう。
(逆転力 ~ピンチを待て~/指原莉乃) 

 
中学2年生で頭角を現した渡部選手は、大学3年生となった現在まで、常に周囲から記録や結果を求められてきた。ずっとフラットな道を走って(大会に出るたびに)、安定したラップを刻めれば(期待に応えられれば)いいのだが、ほとんどのマラソン大会のコースがそうであるように、人生にもアップダウン(思うようにいかない時期)があるのだ。

そんなとき、「この状況から何を学べるか」を考えられる人だけが、再浮上・再ブレイクすることができる。リオ五輪200メートル平泳ぎで金メダルをとった金藤理絵選手(Jaked)は、北京五輪は7位。その次のロンドン五輪は、出場することすら叶わなかった。3度目の五輪でようやく咲かせた大輪の花。このように、挫折のある選手は応援したくなる。

ロンドン、リオを経験した渡部選手にとって、2020年の東京は3度目の五輪。このまま埋もれてしまうのはあまりにももったいない。試練と向き合うたびに、アスリートは強くなる。金藤選手と同じパターンを踏襲してほしい。

 

渡部香生子選手から学んだこと

人生はクロスカントリー。逆境や苦難はたくさんのことを教えてくれる。

 

【大藤敏行】2009年「夏の甲子園」を制した前中京大中京監督が、ライバル校の享栄へ

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(※ 写真は、メ~テレ・佐藤裕二アナウンサーのブログより)

中京大中京・大藤前監督、享栄の「顧問」就任へ(9/21 日刊スポーツより)

 中京大中京(愛知)の大藤敏行前監督(55)が来年4月から享栄(愛知)の野球部顧問に就任することが20日、分かった。
 享栄の関係者は「4月から教員として着任する。顧問の1人として野球部に携わってもらう」と説明。将来は監督に就任する予定で、同じ県内の強豪への転出は異例。00年のセンバツを最後に甲子園から遠ざかっている享栄で、76歳と高齢になった柴垣旭延監督をサポートする。大藤氏は09年夏に中京大中京を43年ぶりの優勝に導き、10年夏の甲子園大会後に監督を退任、顧問に就任した。今年の第28回U18W杯(カナダ・サンダーベイ)ではヘッドコーチを務め、次のU18高校日本代表監督の有力候補に挙がっている。


堂林翔太選手(広島カープ)を擁して09年夏の甲子園を制した中京大中京の大藤敏行前監督が、来年4月から享栄高校の野球部顧問に就任することになった。

先日、ハンマー投げ室伏広治さんが「ミズノ→アシックス」に転職したように、優秀な人がより条件のいい同業他社に引き抜かれるのはビジネスの世界ではよくあることだが、高校野球で、同じ県内のライバル校に移るというのはかなり珍しい。

プロ初登板でノーヒットノーランを達成した近藤真市さん(中日ドラゴンズ)の母校として知られている享栄は、中京大中京・東邦・愛工大名電とともに「愛知私学4強」と呼ばれてきたが、00年春のセンバツを最後に甲子園から遠ざかっている。

享栄にも監督を務められそうなOBがたくさんいるはずなのに、批判されることを覚悟の上でライバル校の優秀な指導者を引き抜いた。もうなりふりかまっていられないということだろう。

大藤さんは中京大中京のOBで、10年夏の甲子園大会後に監督を退任し、現在は「野球部顧問」という位置づけになっている。まだ定年でもないのに、全国優勝をした1年後に監督を辞めさせられたというのは、なんだか不可解な気がしないでもない。中京大中京は自らの母校でもあり、当然愛着もあるはずだが、「現場に立ちたい」という思いが勝ったのかもしれない。

大垣日大(岐阜)の阪口慶三監督がかつて東邦で指揮をとっていたときに、県大会で1回戦負けした際、様々な代のOBから連夜の呼び出しを受けて、「あそこはバントだろ」「なんでスクイズしないんだ」などと色々な意見を頂戴したと言っていた。「天下の名門には姑がいっぱいおったからね(笑)」。

中京大中京も、春30回、夏28回の甲子園出場を誇る伝統校。姑の数(外野の声)はかなり多かっただろうし、気苦労があったと想像できる。

このニュースの中で、個人的に注目したのが「大藤氏はU-18日本代表次期監督の有力候補で、任期が切れる2年後に柴垣監督の後を引き継ぐ見通し」という部分だ。U-18云々というのはきっと建前で、正式に監督を務めるのは2年後からにしたのは、中京大中京の現1・2年生への配慮ではないだろうか。

全国制覇の経験を持つ大藤さんのことを慕って、入学してきた球児もいたはず。来年から直接指導することはできなくなるけど、彼らが卒業するのを待ってから、ライバル校で本格的に辣腕を振るう。ときには周囲の人に不義理をしてしまうような形になっても、「最低限の配慮」をすることは大事だと思った。

 

大藤敏行さんから学んだこと

周囲に不義理をしてしまうときも、最低限の配慮はする。