人生で大切なことはすべてアスリートから学んだ

一流になれなかった元アスリートのブログ。憧れの存在であるトップアスリートの「思考・行動パターン」を真似したくて日々奮闘中。

【柿木蓮、近藤一樹】ドラフトで予想外の低評価を受けた、甲子園優勝投手

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※ 写真は「niftyニュース」より

2018年10月25日(木)に開催された、プロ野球ドラフト会議。毎年、指名された選手の一覧を見るたびに実感するのは、「私たち野球ファン」と「プロのスカウト」の見る目は違う、ということだ。

「中央球界では無名の選手」が上位で競合することもあれば、「実績を残している有名な選手」の評価が低くてビックリすることもある。今年で言えば、柿木蓮選手(大阪桐蔭日本ハム)が後者に該当する。

甲子園で春夏連覇。背番号1を背負って、チームを牽引したエースがドラフト5位。素人目には「なぜ?」という疑問を抱かずにはいられない。大阪桐蔭の同僚で、甲子園での登板はわずか1試合だった3番手の左腕、横川凱選手の方が指名順位(巨人4位)が上だったのも驚きだ。

横川選手の身長は190センチ。「長身サウスポー」というだけでロマンがあるのは事実。甲子園で残した成績だけを見ると、「柿木 >横川」のように思えるけど、肩や肘の消耗度、今後のポテンシャルなど、きっとプロのスカウトにしかわからない「シビアな評価のポイント」があるのだろう。

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※ 写真は「スポニチ Sponichi Annex」より

さて、そんなドラフトで悔しい思いをした柿木選手の「ロールモデル」になりそうなのが、ヤクルトの不動のセットアッパー・近藤一樹選手である。

2001年夏、全国制覇した日大三高のエースだった彼は、ドラフト7位で近鉄に入団。このときも、自分は「甲子園の優勝投手なのに、なんでこんなに低い順位なの?」と思った記憶がある。

球団合併による選手分配ドラフトで移籍したオリックスでは、4度も肘の手術を受け、一時期は育成選手に降格したことも。16年途中にトレードでヤクルトに移籍し、35歳になった今季、自身初タイトルとなる「最優秀中継ぎ投手賞」を獲得した。

プロ17年目で大輪の花を咲かせた「甲子園優勝投手の先輩」が身を持って示してくれたように、マウンドに立てばドラフトの指名順位なんて関係ない。入ってしまえばみんな同じ。「プロは結果がすべて」なのだ。

日本人の多くは「判官贔屓」の感情を持っている。ドラフトの結果を受けて、柿木選手のことを応援したいと思った人はたくさんいるだろう。もちろん、自分もその一人だ。近藤選手のように”わかりやすい実績”を残して、低評価を下したスカウトたちを見返してほしい!

 

木蓮選手&近藤一樹選手から学んだこと

自分の価値をわかってくれない人には、実績で示すのが一番。

 

【西伸幸】五輪に3度出場したモーグラー、医療・介護施設の職員に転身

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※ 写真は「産経ニュース」より

平昌五輪で、原大智選手(日大)が史上初の銅メダルを獲得した男子モーグル。オリンピックはメダリストにしかスポットライトが当たらないものだが、日本の男子モーグルの最年長プレーヤーとして、影でチームを牽引していたのが西伸幸さんである。

五輪にはバンクーバー、ソチ、平昌と3大会連続で出場し、最高順位はバンクーバーの9位。2018年3月に行われた全日本選手権を最後に、現役を引退した。

そんな西さんは平昌五輪の2年前、2016年1月のW杯カルガリー大会の公式練習中に、右膝前十字靭帯を断裂するアクシデントに見舞われた。

復帰まで1年以上かかると言われた大怪我。当時30歳。一瞬、引退も頭によぎったが、「旬を過ぎた自分がケガから復帰してオリンピックに出たら、どれだけの人に勇気を与えられるだろう」と考えて、まずはケガを治すことに専念したそうだ。

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※ 写真は「rockinon.com」より

ロックバンド・クリープハイプのボーカル・尾崎世界観さん。16年には半自伝的な小説『祐介』を上梓し、小説家デビュー。今年8月には『めざましテレビ』のマンスリーエンタメプレゼンターに起用された。

今や多方面で活躍している彼だが、まだ名もなきバンドマンだったころ、水道を止められてしまい、住んでいたアパートの屋上で小便をしていたことがあったらしい。でもそのときに、「今、俺は水道を止められて、屋上で小便してるけど、将来、絶対に売れて、これをテレビのインタビューで話してやる」と心に決めていたそうだ。

スポーツにしろ音楽にしろ、人よりも秀でた結果を残す人は、人生のどん底にいるときや、挫折の真っ最中でも、どこか”俯瞰の目”を持ち合わせているのだと思う。

さて、現役引退後の西さんの近況が、10月11日発売の『スキーグラフィック』に載っていた。セカンドキャリアとして選んだのは、高齢者向けの医療・介護施設の職員。入居者のお世話をしながら、医療コーディネーターの資格を取るための勉強をしているとのこと。

ラソン解説者の増田明美さんが、「(セカンドキャリアは)余生じゃないよ、赤ちゃん」と仰っていた。オリンピアン西さんの引退後の人生はまだまだ始まったばかり。「スキーがものすごく上手な赤ちゃん」として、新天地でも活躍してほしい。現役生活、本当にお疲れ様でした。

 

西伸幸選手から学んだこと

セカンドキャリアは余生じゃない、赤ちゃん。

 

【早狩実紀】45歳の現役陸上選手、「世界マスターズ選手権」で優勝!

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※ 写真は「早狩実紀選手公式ブログ」より

陸上女子3000m障害の日本記録保持者・早狩実紀選手(京都陸協)が、9月にスペインで行われた「世界マスターズ選手権」の2000m障害・45~49歳の部で金メダルを獲得!6分51秒51というゴールタイムは同部の世界新記録、2位に1分以上の大差をつける圧巻の走りに、心から「あっぱれ」を送りたい!

1991年に東京で開催された世界陸上。男子100mで「9秒86」という世界記録(当時)を樹立して優勝したカール・ルイスに対して、長嶋茂雄さんがスタンドから「ヘイ、カール!」と呼びかけたことでも有名なこの大会に、なんと早狩選手は”出場”していたのだ。

当時は同志社大学の1年生。若くして第一線で活躍していたランナーが、その才能を開花させられずに消えていく例なんていくらでもある。まさかそれから27年経った今も、まだバリバリの現役選手として走り続けているとは!

日本選手権にはこれまでに26回出場して、800m・1500m・3000m障害の3種目で優勝経験がある。陸上の日本選手権は出場資格のタイムが決められていて、それをクリアしないと出られない。エントリーすれば誰でも出られる大会ではないのだ。つまり「出場回数の多さ=長きに渡ってトップレベルの走力を維持してきた証」だと言っていい。

45歳になった今は、練習量こそ3分の2ほどに減ったそうだが、走ることへの情熱は全く衰えていない。「速く走れないから、やめたいと思ったことはない。だから陸上をやめる理由がない」「走る幸せは、結果を出すことだけにとどまらない。結果が出なかったからと陸上をやめていくのはさみしい」

陸上や競泳、スピードスケートなどの”タイムトライアル系”のスポーツで自己ベストを更新するのは、年齢を重ねるほど難しくなる。体力の衰えは、揺るぎない客観性がある「ゴールタイム」にハッキリ出る。清々しいけど、実に残酷な世界だ。

そんな中で、もう全盛期のタイムには及ばなくなってしまったけど、陸上競技が大好きで、まだまだ続けたい。元気に走れる2本の足もある。このようなアスリートの受け皿になるのが「世界マスターズ選手権」なのである。

早狩選手が優勝した今年の同大会、男子400mリレーには北京五輪銀メダリストの朝原宣治さんが出場し、金メダルを獲得した。トラックのレースに出ること自体が10年ぶりということだったが、見事な健脚ぶり。ちなみに、早狩選手と朝原さんは、ともに1972年生まれの同級生である(※陸上界では高橋尚子さんも同じ歳)

年齢を重ねた2人のオリンピアンが、マスターズで金メダルをとる。こういう生き方もあっていい。”選手”としてレースに出るからこそ、後輩たちに伝えられることがある。若手から「歳をとるのも悪くない」と思われるような生き様(背中)を、これからもずっと見せてほしい!

 

早狩実紀選手から学んだこと

速く走れなくなっても、競技をやめる必要はない。

 

【末續慎吾、高橋大輔】勝利至上主義の先にある「スポーツの楽しさ」の伝道者

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※ 写真は「au Webポータル」より

2018年9月20日(木)にNHKで放送された、末續慎吾選手の『アスリートの魂』。内容が本当に素晴らしかったので、ここに概要を書き残しておこうと思う。

03年パリ世界陸上の200mで銅メダルを獲得した”陸上界のレジェンド”は、08年北京五輪の400mリレーで銅メダル(のちに銀に繰り上がり)を獲った後、長期休養を経て11年にレースに復帰。38歳になった今も、バリバリの現役スプリンターとして頑張っていたのだ!

短距離種目は、瞬発力を必要とするスタートの部分で年齢の影響が大きく出ると言われている。そのため、周囲の人からは、「恥をかくからもう走るな」と忠告されて辛い思いもしたそうだが、「これからもずっと現役というスタンス。チャンピオンシップスポーツに常に挑戦しようとしていることが大事」

そんな末續選手がレースに出続けることで表現したいのは、勝利至上主義の先にある「競技の楽しさ」。これまでは年齢を重ねたトップアスリートは、引退するのが当たり前という世界観だった。でも苦しい思いをしただけで終わるのは、あまりにももったいない。日の丸を背負って世界で戦うプレッシャーから解放されたら、その次には「自分のために、楽しく競技に取り組むステージがあってもいいんじゃないか?」。 

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※ 写真は「スポーツナビ」より

このコメントを聞いたとき、真っ先に頭に浮かんできたのが、バンクーバー五輪フィギュアスケート男子シングル銅メダリスト・高橋大輔選手である。14年10月に引退し、その後はプロフィギュアスケーターとして活動していたが、32歳になった今年、4年ぶりに現役復帰を表明した。

ご存知のように、今の日本には「羽生結弦宇野昌磨」という平昌五輪のワンツーコンビがいる。「勝てる気は一切しない。全日本選手権の最終グループに入って、彼らと一緒に6分間練習や公式練習をしたい」

競技者としてのピークを越えていることは、おそらく本人も分かっている。それでも現役に戻りたいという彼に対して、末續選手が言われた「恥をかくから辞めろ」というような、心ない言葉は絶対に言ってはいけないと思うのだ。

「恥をかく」というのは、裏を返せば「全盛期がいかに凄かったか」ということでもある。二人ともオリンピックと世界選手権、両方でメダルを獲った。私たちは全盛期のパフォーマンスにどれだけ夢を見させてもらい、感動を与えてもらってきたのか。「誰かのため」に身を粉にして練習に励み、結果を残してきた彼らには、これからはただ「自分のため」だけに純粋に競技を楽しんでもらいたい。もうアスリートとしては、十分すぎるくらいの仕事をしたんだから!

今も末續選手の元には、走りのアドバイスを求める中高生が絶えない。そして、高橋選手が関大たかつきアイスアリーナで曲をかけて練習を始めると、ほとんどのスケーターが滑るのをやめて見入ってしまうそうだ。

人間は、歳とともにできなくなることもたくさんあるけど、年齢を重ねたからこそ「後輩たちに見せられる背中」がある。元メダリストの年季の入った”走り”と”滑り”を、これからも末永く見られると嬉しい。

 

末續慎吾選手&高橋大輔選手から学んだこと

「自分のために楽しく競技に取り組む」というステージがあっていい。

【大坂なおみ】ブーイングを拍手に変えた、全米オープン優勝インタビュー

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※ 写真は「毎日新聞」より

テニスの「全米オープン」女子シングルスで、大坂なおみ選手(日清食品)がセリーナ・ウィリアムズを倒して優勝!なんだか夢を見ているような、でも紛れもなく現実で成し遂げられた歴史的快挙。史上最大級の「あっぱれ!」を送りたい。

16歳年上の元世界女王との決勝戦は、6-2、6-4で圧勝。プレー内容が本当に素晴らしかっただけに、表彰式の怒号のようなブーイングは残念でならない。「セリーナの復活を見たかった」という観客の気持ちも分かるけど、スポーツは試合が終わればノーサイド。素直に勝者を称えてほしかったなと思う。

そんな異様なムードを、大坂選手は自らの”謙虚なスピーチ”で一変させてみせた。「みんながセリーナを応援していたのは分かってる。こんな結末でごめんなさい。とにかく試合を見てくれてありがとう」

20歳の新女王が涙声で絞り出したこのセリフに、心を打たれたテニスファンは多かっただろう。だって、大坂選手は何も悪くないのだ。審判に対して激しく抗議もしていないし、ラケットを叩きつけて壊したりもしていない。最後までスポーツマンシップに則って、正々堂々と戦っただけなのに!

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※ 写真は「サンケイスポーツ」より

そして最近、大坂選手と同じような”不憫な思い”をしたのが、元モーニング娘。保田圭さんである。9月6日、都内で行われたマクドナルドの「秋クルー採用キャンペーン」のイベントに、一緒に出るはずだった吉澤ひとみさんが飲酒ひき逃げで逮捕されたため、急遽一人で参加することになった。

このときはまだ事情も知らなかったそうで、気が動転してもおかしくない状態の中、吉澤ひとみが急遽参加できず、『おい、保田圭だけかよ』という気持ちかもしれませんが、飲み込んでいただいて、宜しくお願いします」と、自虐的なコメントで笑いをとっていたらしい!

モー娘。時代は、CDジャケットの写真で顔が切れていたり、グッズのうちわの数が一人だけ少なかったりと、冷遇されることも多かった。自分も当時は、安倍なつみさんや後藤真希さんなど、目立つメンバーばかりを注目していたけど、今は「OGの中で保田さんが一番好きだ」と胸を張って言える。だって、絶対に性格がいいと思うから!

「こんな終わり方ですみません」「今日は保田圭だけですみません」。二人とも謝る必要なんて全然ないのに、場の空気を読んで謝罪コメントを発表した。こういうひたむきな言動を、見ている人はちゃんと見ているし、届く人にはちゃんと届いているのだ。

一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくる、という意味の「損して得取れ」という諺がある。置かれた状況に真摯に対応したことで、垣間見えたスターの素顔。大坂選手も保田さんも、一時的には損(嫌な思い)をしたかもしれないけど、確実に大きな利益があった(ファンが増えた)と思う。

大坂なおみ選手、保田圭さんから学んだこと

人生はロングスパンで考える。一時的に損をしても、将来的に利益があればOK。

【谷真海】東京パラリンピック出場の道が閉ざされた、五輪招致の立役者

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※ 写真は「SUNTORY」のHPより

『Sports Graphic Number』で、”新しい地図”の連載がスタートした。稲垣吾郎さん・香取慎吾さん・草彅剛さんの3人が、東京パラリンピックを目指すアスリートと語り合って、競技の魅力を伝えていくというもの。彼らの影響力の大きさが、とても正しく使われている。

この第1回のゲストとして、パラリンピック金メダリストの土田和歌子選手が登場。先日、トライアスロンの東京パラで実施されるクラスが発表されたという話をしていた。それによると、土田選手のクラスは入ったそうだが、「該当クラスが除外されてしまった日本の有力選手もいる」

具体的な名前は出ていなかったけど、これはおそらく谷真海選手のことだろう。旧姓の「佐藤真海」だったらピンとくる方も多いかもしれない。13年9月、ブエノスアイレスで行われたIOC総会の最終プレゼンテーションでスピーチをして、東京五輪の招致に大きく貢献した、あのパラリンピアンである。

20歳のときに骨肉腫のため、右足の膝から下を切断。走り幅跳びアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場した。その後、「東京で金メダルをとるために」トライアスロンに転向。昨年の世界選手権でも優勝し、このままいけば「金メダル確実」と言われていたのだが・・・。

谷選手が出場する「運動機能障害PTS4」というクラスは、競技人数が少ないことなどから東京パラリンピックで実施を見送られることになった。他の競技では、障害の程度の軽いクラスに出ることを認める例もあるのだが、トライアスロンは自分のクラス以外は出場不可。つまり、戦わずして門戸が閉ざされてしまったのだ。

勝負の舞台があるというのは、スポーツ人の特権だ。
わたしにはそんなプレッシャーの中で仕事をする機会などない。
感極まる、などという経験は遠い昔のことだ。
(『泳いで帰れ』/奥田英朗


たとえば、柔道やレスリングのように体重別なら、自分の階級が実施されない場合は、体重を増やすなり減らすなりすれば、試合に出ることができる。でも、負ってしまった障害の「重い軽い」はどうすることもできない。本当に自分ではどうしようもないことなのだ。

東京五輪招致にあれだけ尽力してくれた人の「勝負の舞台」「スポーツ人の特権」を奪うというのは、あまりにも理不尽だと思う。この残酷な事実を一人でも多くの人に知ってもらいたくて、自分は今、この記事を書いている。

パラリンピックのクラス分けが難しい」のはよく分かる。障害の部位や程度は人によって違うから、どうやったって完全に公平にはならない。でも、どこかで線引きをしてルールを決めないと、スポーツとして成り立たなくなる。それは理解しているのだけど・・・。

 

世の中にはどうしようもないことがたくさんあって、そこに出口がないなら、
どうにかしようがあることに努力や時間を割いていったほうがいい。
(『走りながら考える』/為末大


谷選手は東京パラへの道が閉ざされてからも、今まで通りにトレーニングを続け、「少しでも可能性がある限り、最後まであきらめない」と、悲壮な決意を口にしている。9月12~16日には、連覇がかかる「世界パラトライアスロン選手権」に出場する予定。「どうしようもない」東京五輪はさておき、まずは「どうにかしようがある」に世界選手権に集中だ。

かつて、15歳の浅田真央さんがフィギュアスケートのグランプリファイナルで優勝したとき、「こんなに強いのに年齢制限でトリノ五輪に出られないなんておかしい」「出場させてあげたい」という声が上がった。谷選手が世界選手権で連覇を達成すれば、同じような要望が寄せられるかもしれない。もし軽いクラスと統合されれば、条件的には不利になるけど、スタートラインに立つことはできる。今後の動向を見守りたい。

 

谷真海選手から学んだこと

どうにかしようがあることに努力や時間を割くようにする。

 

【高嶋仁】3年生は全員出す!高校球史に一時代を築いた名将が退任

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※ 写真は「日刊ゲンダイDIGITAL」より

夏の甲子園で歴代最多の68勝を誇る、智弁和歌山高嶋仁監督がこのたび退任を表明。「ノックができなくなった」のが大きな要因とのことだが、ベンチ前で戦いをじっと見つめる、あの代名詞の仁王立ちがもう見られないなんて寂しい・・・。

高校野球の指導歴は48年。その間、甲子園に35回出場し、94年春・97年夏・00年夏と3度の全国制覇を成し遂げた。個人的には、高塚信幸さん、中谷仁さん、喜多隆志さんらがいた97年のチームが最も印象に残っている(※決勝で、元オリックス川口知哉さんを擁する平安に勝った)。

そんな智弁和歌山といえば、押しも押されもせぬ”高校野球の強豪校”だが、現在の部員数は34人。これに対して、昨夏の甲子園を制した花咲徳栄高校の部員数は、約5倍の163人。他にも100人超えの名門校が多い中、「1学年10~12人の少数精鋭で戦う」という高嶋監督の方針を、自分はとても好ましく思っているのだ!

「人数が多い学校に行くと、夏の大会前でも(球拾いなどで)外野で遊んでる子がおる。それが3年生なんです。そういう選手だけはつくりたくなかった」。そのため、予め受け入れる人数を制限し、甲子園に出場したときは、原則として3年生全員をベンチ入りさせている。

今年の夏は珍しく初戦敗退だったが、4点ビハインドの9回に主力を次々に交代させて、補欠の3年生全員に出場機会を与えていた。この試合だけでなく、智弁和歌山は「分かりやすい思い出代打」が登場することがよくある。「3年生は3年間やってきたんやから、後半になると全員を出してしまう。悪い癖なのか、いい癖なのか」

最後に代打で出て、たとえ三振だったとしても、「人生で一度でも甲子園の打席に立ったことがある」というのは、その選手にとってかけがえのない思い出となる。そして、高校を卒業するときにきっとこう思うだろう。「智弁和歌山で3年間野球ができて本当に良かった」と。

高嶋監督は「名将」であり「勝負師」だけど、「教育者」でもあるのだと思う。だから、たまに采配に”情”が入る。主力メンバーで最後まで戦う方が、勝つ可能性が高いことは百も承知。でも、そんな”目先の勝利”よりも、教え子の”3年間の頑張り”に報いるために、3年生全員に出場機会を与えてあげたいー。

かつて松井秀喜さんを5連続敬遠した明徳義塾や、レギュラーの9人だけで決勝まで勝ち進んだ金足農業のように、勝負に徹する学校もある。一方、高嶋監督は人情優先。どちらが良いとか悪いとかではない。これは各学校の高校野球に対する「スタンス」の違い、ひいては各監督の「人生観」の違いなのだ。

勝利のために、「学年問わず力のある選手を使う」という論理的思考も一理ある。でも、個人的には、勝負に徹することができず、つい情に流されてしまう”人間味”のある高嶋監督が大好きだった。後任の中谷仁さんも、「少数精鋭&3年生は全員出す」という方針は継続してほしいと思う。


高嶋仁監督から学んだこと

高校野球は教育の一環。義理人情を大切にする。